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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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平成21年が間もなく終了
DSCF1196.jpg

大晦日、NHK恒例の「紅白歌合戦」を見ながら年賀状をせっせと今頃書いている。
このトラの賀状の印刷が完成したのが12月25日。書こうと思えば送られた人の手元に元旦に届く事ができたはずだ。
毎年のことなのに、年々遅くなってしまう。このトラの絵は我が社のメデイアデザイン部の若いデザイナーが手書きでせっせと書いてくれた。なかなかリアルなトラに描けていて私は気に入っている。
コピーの文案「アイデイア思考中なう」は今風だそうだ。「なう」、「なり」の間違いなのではという私の問いに一喝された。私はせめて「NOW」としないとわからないのでは? デザイナー君 ”いいんです” という。
かのデザイナー君との年齢差40才。年の差に私は「がっくり」とした。
それにしても「紅白歌合戦」はおもしろくない。
テレビ欄のコピー”歌番組より、格闘技より、2009年最後の夜には奇跡を見ませんか” フジテレビのアンビリーバボーの番組宣伝のコピーだ。でも、年賀状書きながらは「紅白」になってしまう。
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アチェ報道写真展
昨日、12月26日インド洋大津波 5年についての報道がテレビニュース、新聞が報じていた。S新聞は「震源地近くで17万人が犠牲になったインドネシア・アチェ州のバンダアチェでの式典には2千人が出席し、挨拶したブデイオノ副大統領は「アチェの人々は立ち直り、新たな生活を手に入れた」と人々の努力をたたえた。
私自身はインドネシア文化宮(大川誠一氏主宰)で開催されている ”アチェ津波被災5周年報道写真展” に出かける。特に昨日26日は我が社が製作した「二つの故国をつなぐ歌」を含めた、「報道カメラマンが記録した津波の全貌」やアチェの若手監督・マウラナ・アクバールさんが制作した「津波の歌」が上映。しかし、世の中の人々には、5年前の津波被災の記憶から遠ざかっている。辛うじて2-3人お客さんが「報道写真」を観に来ていた。
この展示会開催は12月21日から2月27日まで。
 アチェ津波被災5周年報道写真展(写真提供:インドネシア文化宮)
アチェ展_IMG_2925.JPG


アチェ津波5周年
a href="http://blog-imgs-27.fc2.com/s/o/u/soushunfu/200909262030502fb.jpg" target="_blank">流された豪邸 のコピー

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あの巨大な津波がインドネシア・スマトラ島のアチェに襲来したのは5年前、2004年12月26日の朝7時58分、マグニチュード9.3の猛烈な地震が起きた。その数十分後に巨大な津波が襲った。
私は当時,アチェといえばすぐに「サクラさん」の事を思い出した。5年前の今日、テレビのニュースはタイのプーケットでの津波襲来の映像を流し続けていた。肝心な震源地のアチェのことが一向にニュース映像として放映されなかった。首都バンダアチェの一報が放映されたのが、確か、正月明けだったろうか? その映像は衝撃的だった。町のメインストリートを濁流がものすごい勢いだ流れていた。濁流の中でもがく人、車から助けられる人だった。私は懇意にしている豊橋技術科学大学の星教授(当時は既に退官)に電話で現地の事を聞いてもらった。星先生はサクラさんの娘婿Dirhamさんが国費留学した時の担当教授だった方である。星先生はもっとアチェに詳しい本間教授を紹介してくれた。その後、二人の先生から情報がメールで毎日送られてきた。お二人の先生はアチェのシャクラヤ大学の先生たちとの太いパイプがあった。情報の中には「Dirhamさんの一家は全滅だろう」とか「Dirhamさんの子供たちは全員行方不明」とか不確かな情報があたかも確かな情報のようにメールに入って来る。
その後、時間と共にメール情報も少なくなり、サクラさんのことは半分諦めていた。私の大阪在住のイトコ(サクラさんとは母違いの姉)などは「もう諦めなさい.探すことはすべて手を尽くしたのだから」と言う。しかし、私は諦めていなかった。どのくらい経ってからだろうか。会社に突然国際電話があった。1回目は私が留守をしていた。2回目の電話を受けた。サクラさんの娘婿・Dirhamさんからだった。「サクラさんは無事である、私の末の娘が行方不明だ」という内容だった。
そして、私は決心した。「アチェに行ってみよう。この目でサクラさんの無事を確認したい」そして、豊橋技術大学の二人の先生、星教授、本間教授に再びお願いした。本間先生の教え子で日本語が上手いMrs エビータさんが3月末に休暇を取ってアチェに一緒に行ってくれると言う。Mrs エビータさんはメダン出身で、Dirhamさんも良く知っているとか。私の息子・昌剛(マサタカ)にも休暇を取らせて同行が決まり4月1日にシンガポール経由でスマトラ島のメダンでサクラさん、通訳のMrs エビータさんと合流。メダンの空港にはDirhamさん一家が出迎えてくれた。その中に未だ幼い「Divaちゃん」がいた。これが彼女と会った最初だった。はにかみながらインドネシア式の挨拶をした。ホテルにはサクラさんが私たち親子の来るのを待っていてくれた。私とサクラさんはしっかりと抱き合った。
サクラさん「マサアキさん、インドネシアのこと忘れていてくれたんですね。ありがとう」私は「忘れるものですか」  私はサクラさんの一言はこれから一生忘れられないだろう。
翌日、全員でバンダアチェに向かった。外務省のHPにはアチェは渡航禁止地域になっていた。
下の写真はサクラさんたちの家は津波で破壊された。
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2006年12月26日 津波2周年のお墓参りの時。
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信濃毎日新聞WEB
安曇野でインドネシア人研修生と「早春賦」を歌う集い
12月6日(日)版に下記のような記事が掲載されていた。私が写真を撮っている時に熱心に取材をしていた。
東京に住む私は地元の記事を素早く見るのにはWEBにも掲載されている記事は大変便利である。あえて、掲載させて頂きました。

安曇野市の市民有志らでつくる「早春賦愛唱会」は5日、中信地方に滞在しているインドネシア人研修生と唱歌「早春賦」を歌う集いを市穂高交流学習センターで開いた。研修生15人が参加し、会員らと交流しながら歌声を響かせた。__ 同会の会員たちがインドネシア民謡で歓迎。初めは恥ずかしそうだった研修生も壇上に上がり、インドネシア語の発音をアドバイスする場面もあった。最後は同会会員らと笑顔で早春賦を歌った。__ ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう」も上映。早春賦の作詞者、吉丸一昌の孫でインドネシア人のサクラさんとその孫娘が、2004年スマトラ沖地震の津波被害を乗り越え、早春賦を歌い継ぐ姿を紹介している。__ メッキ工場で3年間研修したアネス・ドゥアントロさん(27)は来月帰国する。「今も多くの人が悲しい思いをしている。でも、つらいことがあっても頑張ろうという気持ちになった」と話した。__ 同会の西山紀子代表は「早春賦は厳しい冬を乗り越えれば必ず春が来るという歌。帰国しても覚えていてくださいね」と呼び掛けた。_
以上のような記事である。
「二つの故国をつなぐ歌」インドネシア語版の上映
土曜日の上映会は二本立て、いや、「二つの故国をつなぐ歌」インドネシア語版も入れたら三本立て上映だ。
16時から「Azuminoハートネットワーク」と「中小企業人材育成事業団アイム・ジャパン」の方々がインドネシアから就労に来ている若者たち15人を連れて、インドネシア語版を鑑賞してくれた。
上映会委員長の笠原氏とインドネシアの歌「ママのそばで」や「ブンガワンソロ」と彼らも必ず歌うという「故郷」を一緒に唄っていた。(左端の白いひげの方が笠原氏)

インドネシア研修生

映画「二つの故国をつなぐ歌」を鑑賞するインドネシア研修生たち。
研修生
彼らにこの歌「早春賦」の心根が理解出来たのだろうか。残念ながら聞く事ができなかった。彼らも寒い安曇野で
不況下に苦労しながら働き、得た賃金を「故郷」に仕送りしているという。暑い赤道の國から、北国の信州での就労の苦しさはいかほどのものか。上映会の主催者・西山女史は家で取れたお米60キロを寄付したそうだ。西山女史は言う「インドネシアの人たちは日本のお米が美味しいと言ってたよ。お米が好きなんだね」と嬉しそうだった。

安曇野の68年前の記憶
今日、12月7日は「二つの故国をつなぐ歌」と「語らずに死ねるか」の両方のブログは兼用版として掲載します。
先日の土曜日、12月5日に安曇野市に9月に完成した中央図書館附属・交流学習センター「みらい」で私たちが製作した映画2本が上映された。タイトルは”いのち見つめて・・・”
上映会の開場時間1時頃から雨になった。山国の安曇野は雨が降ると気温が下がる。とにかく寒い、底冷えがする。
しかし、こんな天気にも関わらず上映会には定員200名を越える、多くのお客様が鑑賞してくれた。
開演は早春賦劇場合唱団のママさんたちの合唱「里の秋」、そして、朗読。「二つの故国をつなぐ歌」テーマ音楽「いのちのきずな」のオープニング曲からスタートした。歌が終わりながら第一部の映画「二つの故国をつなぐ歌~DIVA早春賦~」が始まる。感動的な上映会の始まりである。まさに早春賦劇場だ。
合唱団と朗読をする早春賦劇場合唱団の方々。
ママさん合唱団
映画「二つの故国をつなぐ歌」の一場面
DIVA上映
ドキュメンタリー映画上映委員会の笠原貞行氏あG挨拶をした。笠原氏は85才。68年前の12月8日は安曇野市(旧穂高)は寒い晴れた日で、辺りは霜で真っ白だったとか。笠原氏は当時17才「ハワイ真珠湾に奇襲攻撃せり」のニュースに感激したと言う。
会場と笠原



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