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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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Youtubeでの予告編、鑑賞ありがとうございます
昨日、製作中の「語らずに死ねるか~無名の元兵士の声~」の予告編をyoutubeで公開しました。驚く事に140数件のアクセスがありました。昨日の夕方6時頃にONAIRからですからマル1日です。過去に、「二つの故国をつなぐ歌」でも、これだけ多くのアクセスはありません。

年賀ハガキ
 
いただいたメールの中に「バックミュージックの曲はなんという曲ですか」というのもありました。
モーツアルト クラリネット協奏曲 イ長調 K-622 第2楽章からです。
 映画における音楽の役割は大変重要です。この予告編を構成編集した監督の長尾栄治は、たった2分30秒の予告編に感動する音楽を選曲するのに半日かかったと言っておりました。ラストの元兵士の何気ないが緊張した横画がクラシックの旋律とマッチして観る者の琴線にふれる。
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映画 「語らずに死ねるか! 無名の元兵士たちの声」の予告編をYoutubeに公開しました。
当ブログにてご紹介しているドキュメンタリー映画 「語らずに死ねるか!無名の兵士たちの声」の
予告編をYoutubeに公開しましたので、是非ご覧下さい。
映画についての詳しい情報は引き続き当ブログにてご報告いたします。
企画・製作:株式会社ユニモト、共同製作:戦場体験放映保存の会
製作:吉丸昌昭、 監督:長尾栄治、 撮影:吉田武


【映画公開スケジュール】
会場:  なかのゼロ 視聴覚ホール
公開日: 4月10日(金) 18:00~21:45 (2回上映予定)
      4月12日(日) 13:00~17:00 (2回上映予定) 

【ご注意!】
ご使用のネットワークの速度が遅いと、動画をスムーズに見れない場合があります。
恐れ入りますが、動画の下の赤いバーが完全に横に伸びた状態が、データを全てダウンロードした状態ですので、その状態になるまで待ってから、再度再生すればスムーズに見れると思います。

シカゴ出身のアメリカ新大統領
今朝の新聞やTVニュースではアメリカ新大統領の就任ニュースで沸きかえっていた。
パプア・ニューギニア=セピック探検の話から一転して昨日,1月20日にアメリカ大統領の出身地・シカゴの話に今日だけ掲載しようと思う。  かつて、私が勤めていた日本映像記録センターで1981年から82年にわたって約1年間、私はシカゴのリンカーン・パーク・ズーに「ゴリラ誕生」の取材を続けていた。私が滞在した81年12月から翌年の3月まで猛烈な寒波が襲った年だった。その時のシカゴの寒さは今日のワシントンの比ではなかった。五大湖のミシガン湖から吹き付ける風を「ウインデイーCITY」と言われるほど猛烈に寒かったことを今でも忘れられない。
  当時から、シカゴには黒人が多く、いずれは黒人の市長が誕生すると言われていた。今や、シカゴ市長どころかアメリカの大統領に始めての黒人大統領が誕生したわけである。1月20日、世界中が新大統領の就任を祝った。くしくも私の誕生日である事に、私はシカゴ=自分の誕生日に縁を感じた。
20090121-830355-1-N.jpg

東ニューギニアの山また川を行く
30年前のテレビ取材はまだまだ16ミリカラーフイルムが全盛だった。カメラはドイツ製のアリフレックスST。使いやすくて故障が少ないカメラだった。このカメラは長時間の取材には400フィートマガジンを装着するが、山また山を越えて行くような行軍には、このカメラに100フィートフイルムを装填する。
ただし、100フィートフイルムは廻しぱなしで約3分、400フィートで12分しか廻せない。フイルムは生ものであるから常に熱帯ではアイスボックスに乾燥剤と一緒に保管する。カメラマンは撮影する以外に撮影済みのフイルムには神経を使う事になる。もちろん生フイルムも同様である。
7月6日の日誌:
昨晩から激しい雨が朝7時までも降り続いている。7時には出発しなくてはならない。思案してしまう。 写真はポーターを先頭に川を渡る。
濁流を行く

ポーターたちは口々にもう止んでいるから出発しようと勝手に荷物をまとめ始めた。我々も重い腰を上げざるをえない。昨夜な雨で川が増水し、いつもは川の中を歩けるはずが、猛烈な水量と真黒な汚れただ。水でもうシューズはぐしょぐしょになっている。
マングロープの奇妙な根っこが露出する林を行く。
マングロープの林を行く

ポーター

もういい~やと殆ど投げやりの感じ。休憩時のタバコが美味い。
行軍で一休み
やっと着いた所は裸族の小さな村だった。多くの子供たちは皮膚病に侵されていた。
D村人たちと

昭和52(1977年)年5月28日付けの手紙(続き)
1月17日(土曜日) 今日は比較的に温かい。12時から高校時代のクラス会が開かれた。永久幹事である私が毎年、東京や近県に住む40数人に友に声をかけて新年会を開催してきた。今年は14名の友が来てくれた。友には「語らずには死ねるか!」の年賀状付映画案内ハガキを送っている。皆からそれなりに反応があった。
さて、今日も前回のパプア・ニューギニア セピック川探検の続きの自分の書いた手紙を披露する。

『5月27日、現在Tambnum(タンバナム)村をモーターカヌーでセピック川を12時間かけて遡上、Ambunti(アンブンテイー)に来ています。ここは一寸した町ですが、さらにここから4時間カヌーに乗る。一口に12時間かけて川を上るというのは言うのはやさしいですが、小さなカヌーに400キロの荷物を積み、そして、人間が5人。これは苦しい旅です。丁度乾期に入る頃なので、水量が減り、あちこちに流木がひっかかり、川底が露出しカヌーは転覆する危険が充分。カメラやフイルムを流したら、何百万の損害です。ひやひやものです。朝、Tambnumを8時に出発、夜8時に目的地に到着し
たら真っ暗。天気が良いのでじりじりする太陽が照りつけるので体が焦げつきるように暑い、夕方になると雷を伴ったスコールが来る。大きな川の中なのでよける所がない。雷の恐ろしさ、前歯が金冠なのでガムテープを口に張り絶縁、金属の時計バンドは隠し、やっとの思いでAmbuntiに来ました。』

カヌーの中で暑さにグロッキー。
モーター付カヌー
途中の村で見たワニの子供。噛まれないように口が縛られている。
ワニの子供

飛行機の中で。 へびの様に蛇行するセピック川。
セスナ機の中で

蛇行するセピック

セピック川の村・Tambunumn
昭和52(1977年)年5月28日付けの手紙。
ニューギニア取材で2度目に訪れた、Tambnum(タンブナム村)村は、Wewakから教会のセスナとモーター付カヌーでセピック川を45分かかって到着。ものすごい日射しと蚊の攻撃にあい、痒くてかゆくて もう降参でした。防虫剤をつけても汗でみな落ちてしまいます。Gパンをはいていても、シャツの上からチクリチクリ何故こんなに苦労して、文化果つる所まで来たかと自問自答の繰り返しでした。TOKYOを出る時かなり覚悟はしていましたが現実は目にするまで人間は分からないものです。
悪い事にここはマラリヤ発生も多く、隣が医者(と言っても無資格の)で、彼の言う事にはマラリヤ=フィラリヤは皆蚊が原因だそうです。3週間の潜伏期間を過ぎていますが未だ症状は出ていません。薬を定期的に飲んでいるから大丈夫。1回でも飲み忘れたらヤバいんだなー(実は帰国後2回もマラリヤに罹ってしまった)デイレクターのNさんは以前アフリカでカメラマンが脳性マラリヤで亡くなった時の担当者なのでマラリヤ蚊には注意しているみたいです。
高床式の我々が借り受けた家。雨期には床下までセピックが増水するそうだ。
我々の家の中
地元の女の子とのんびり記念写真を撮っている。
村の子と
現地の子供は元気だ。おなかが異常に大きくて、皮膚病に罹っている。
裸の子供たち
イノブタを撃ったり(格好だけ)、セピックの泥水での水浴を楽しんだり。
イノブタと私
セピックで水浴
私たちの家に腕章を巻いた老人が杖をついて訪ねてきた。腕章には旧日本軍の「第2班 酋長」と読めた。
腕章の老人

酋長の腕章
そして、大日本帝国の10Pesosと記された軍票をを持ってきた。日本のお金と替えてくれと言っていた。
軍票


戦地 Wewakの想い出
先週の金曜日、2週間ぶりの雨の日。寒くて凍るような雨だった。今年も、恒例の新年会を開催した。そんな悪天候の中を、昨年、仕事関係でお世話になったスタッフ、スタジオ、ナレーション事務所の関係者が来てくれた。フリーのカメラマンや演出家、かつて我が社にいたスタッフもいた。
 30年前のこの時期、私は38才、フリーカメラマンだった。フリーカメラマンとは名ばかりで仕事もなく、将来に対して夢も希望もない日々だった。もうこの家業から足を洗うか、どうしようか岐路に立たされていた。そんな時、日の出の勢いだった牛山純一氏率いる「映像記録センター」から声がかかったのが「すばらしい世界旅行」~パプア・ニューギニア セピック川探検源流から河口まで~のドキュメンタリー番組の撮影担当の依頼だった。昨年、その頃の話の一部を10月、11月にブログに載せたことはご記憶の方もおられると思います。
  昨日、姉から封書が送られてきた。「あなたが30年前に送ってくれたニューギニアからの手紙です。差出人、本人に渡した方が良いと思いました。あなた本人の歴史でもあるし記録でもあるから受け取ってくれ」と。懐かしくて思わず自分の書いた手紙を読んでみた。当時の取材の苦労話が書かれているのでブログに載せたいと思う。先ずはニューギニアの地図から紹介しよう。
地図
姉に送った1通目の手紙である。4月30日と書いてある。『早いもので、ニューギニアに来て1ヶ月を経過しました。始めは暑さで食欲はなし何もかも気だるくやる気がでない。しかし、体も時間がたつにつれて慣れてきて今は元気いっぱいです。心配しないで下さい。現在、休養と次の撮影地に行くための準備でWewakにいます。(地図を参照)久しぶりに寝るベッドと温かいシャワー、うまい肉、感激で涙が出るくらいです。1ヶ月過ごした村は比較的文化の入った所でしたが水はない電気はない、美人の子はいない、全てはないないづくしです。連中も芋類だけで、それも煮るか焼くかだけ、味もしないものを1年中たべているのです。Wewakに戻る前の日にお別れパーテイをやりました。生きた雄鶏を1羽もらい、ヤムイモ入りのチキンシチューを作りました。村人は「美味いうまい」とこの世の中にこんな美味いものがあるのかと大喜びでした。この村は連合軍と日本軍が戦った場所で(Wewakから車で3時間の町Mapricからさらに徒歩1時間の村Neligum村)
日本軍の手伝いをしたという老人もいて、日本の唱歌を聞く事ができました。日本兵も親切にしてくれ食料も提供したようです。村はずれには銃やヘルメットの錆びたものがあり、それを見るにつけ胸がしめつけられる思いです。5月5日いよいよ、マラリヤ蚊が沢山いるセピック中流の村に行きます。45日間の予定です。足がないので教会のセスナ機で入り、カヌーでセピックを下ります。そんなこともあって音信は不通になります。6月5日ごろWewakに戻ります』と結んでいた。
下の写真はヤム芋の祭りに使うお面。
お面
私が右、左側の男が旧日本兵に仕えたクッキングボーイだった男。この面は今でも私の家にある。
お面作り


靖国神社で映画の成功祈願をする
9日間という長いお正月休みが終わった。
三が日+アルファアで食べ過ぎ(私は酒はたしまない)と運動不足で体が異常に重い。
午後、仕事の打ち合わせで市ヶ谷に行く。その足で映画製作の成功祈願の初詣を靖国神社に参拝する。参道は参拝客で賑わっていた。
本殿に手を合わせて映画「語らずに死ねるか!~無名の元兵士たちの声~」の成功祈願をした。本殿脇のおみくじ売り場に100円を投じておみくじをひく。「大吉」が出た。成功祈願を靖国の神様は聞いてくれたのか正月からゲンが良い。相変わらずのノー天気である。
おみくじオリジナル
“正しい心、人につくす心を失わない限り、望みは達せられる” 良いですね!! 
勢い込んで、他の御参りする人たちの「ちゃりん」と鳴る音を背に、私は静々と賽銭箱に1000円札を入れた。
帰り際に菊の紋をバックに900円を払って記念写真を撮影した。
靖国オリジナル



新年おめでとうございます
2009年正月元旦 
明けましておめでとうございます。2009年日本は何処へ行ってしまうのだろうか。
昨年から続く、100年に一度の大不況とか、リストラだという「負の連鎖」がマスコミを中心に朝から晩まで暗いニュースが発せられている。誰だってこれだけ暗くなるニュースばかりが流されると”右向け右、左向け左”と反応に敏感で洗脳されやすい日本国民はしょぼんとなってしまう。
私は何時も前向きである。自分に都合の良い言葉は自分に向けられているのだと思う事にしている。
来る、1月20日、アメリカの期待の星 、いや世界から期待されているオバマ新大統領が就任する日である。その日は、私の69才の誕生日でもある。世界中が私の誕生日も祝ってくれているのだと・・・と思う事にしている。ノー天気と言われようとそう思う事にしている。
2009年、新年に乾杯! 我がノー天気家族の記念写真を披露します。息子夫婦と私の家の福の神です。
新年ブログ
もう一つの写真は、私の年賀状は完成が近い映画のPR賀状を兼ねたものです。既にお手元に届いている方もおられると思います。正月からいきなり「語らずに死ねるか!」のタイトルが踊っているのに驚いた事でしょう。
年賀ハガキ

大晦日
インドネシアのアチェは最もイスラム教が盛んな地域である。99%がイスラム教徒と言っても良い。
日本は12月31日 の大晦日から元旦にかけて1年で賑やかにお祝いをする。特に大晦日には神社に行き、1年間は無病息災を祈る。
インドネシア、特にアチェは日本と違い大晦日も新年もほとんど祝い事をしない。しかし、2006年私たちが取材に行った時は、HARELAYA(ハレラヤ)というイスラムの大晦日?と丁度重なった。人たちは朝早くにモスクへ家族でお祈りに行く。モスクから戻って家族でご馳走を食べる。午後には生け贄になるヤギや牛を殺して、その肉を皆で分けてご馳走になる。
 にぎわうアチェの目抜き通り
にぎわい
モスクでは人々がお祈りをする。
ハレリヤお祈り1
着飾った女たち。ひときわ刺繍が綺麗だ。
DSC_7064.JP着飾る
牛が生け贄にされる。
いけにえ牛



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