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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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帽振れ!全国甲飛会~解散式~ビデオが好評
9月1日に全国甲飛会が解散した。この解散式を克明に追った私たちが製作したビデオ「帽振れ!全国甲飛会~解散式~」が全国甲飛会の機関誌95号で紹介された。発行されると続々とビデオの注文が寄せられた。皮肉にも開催されたイベントでの即時販売をした時は全く見向きもされなくて殆ど売れなかった。
販売用のチラシ
ぼうふれ
即売会のチラシには価格3000円を付けた。今は出血サービス値段 2000円にした。やはり、じっくり見る機関誌への広告効果は違うものと改めて感心する。2000円が手頃感なのであろう。
ビデオを見た方からは嬉しいことに感想文を寄せてくれる方もおられた。
感想文を紹介しよう。「拝復  突然のお願い事にもかかわらず早速”「帽振れ!全国甲飛会-解散式の集い』のビデオテープを御送付賜り誠にありがとうございます。本日鑑賞させて戴きました。
要領よくポイント部分が編集されておられ全国甲飛会最後の記録として大切に保存させて戴きます。」と丁寧な文章で送られてきた。正に製作者冥利に尽きる。

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早春賦の歌碑が菩提寺に建立
11月15日にブログを書いたまま、10日間も空けてしまった。この10日間は目の回るような忙しさだった。もちろん三連休もバッチリと仕事をしてしまった。
我が吉丸家の菩提寺・龍光寺(文京区本駒込)の境内に「早春賦」の歌碑が建立することがほぼ決まった。この建立実行委員会の会合が先日3回目でほぼ内容及び歌碑となる石が決まった。大きさは写真でも分かるように高さが約160センチ、巾が180センチ位だろうか。台座の上に載せる形になるからもう少し高くなる。石も国産の北海道から取り寄せた2-3トンはあるとか。表面にはグリーンのスジ模様が所々に走っている。大きさから見ても他の何処の歌碑よりもひけをとらない。
歌碑石JPG
歌碑を作る話は私と菩提寺のご住職とが主宰している「吉丸一昌顕彰コンサート」が今回で3回目になる。1回目が開かれた平成18年が早春賦の作詞者・吉丸一昌の没後90年だった。その頃から衣斐玄譲(いび ・げんじょう)住職から「早春賦」歌碑を菩提寺に作りたいという相談を受けていた。時期は没後95年になる平成22年(再来年)3月の命日を目標にしてはという私の意見から準備が進められてきた。そして、この度、建立実行委員会で具体的な案が決まった。
場所は本堂を正面に見た右側に木立のある空き地に決まった。
設置碑場所
お参りに来る檀家さんや早春賦フアンの方々が写真後ろから山門を通過するとすぐ右側に歌碑をみることができる好位置なのが良い。
歌碑場所正面
左にサザンカの大木がある。歌碑を作るために庭木は切らないで移植も考えているとの事。平成22年現在で大分県臼杵市に1基目、その後、安曇野市、大町市、私は見ていないが鳥取の大山近くに1基、そして歌碑とは言えないがインドネシアのアチェ。6基目が菩提寺・龍光寺となる。
今回の歌碑の特徴はボタンを押すと「早春賦」の歌が曲とともに流れるという趣向。平成22年3月が楽しみである。
玉地俊雄さんの写真展を観る
土曜日、一日が48時間あればと思う日であった。午後2時から我が家の菩提寺(文京区本駒込)龍光寺で再来年3月に建立予定の「早春賦」の歌碑建立実行委員会に出席した。歌碑の石がほぼ決まり、また建立場所の候補もほぼ決まった。
 その後、大急ぎで高田馬場のインドネシア文化宮で今日から開催される大阪出身の漫画家であり写真家の玉地俊雄さんの写真展に駆けつけた。タイトルは「LIKE・A・BALIJIN ウブドの達人展」。
玉地俊雄さんのことは以前にも大川氏から聞いていた。今日から3ケ月というロングランの個展である。  今日からということで正午にはギャラリー前でバリ舞踊の日本の第一人者である芳野未央さんのバリ舞踊がオープニングセレモニーとして演じたという。残念ながら観る事が出来なかったが、夕方駆けつけたら芳野さんと佐藤英喜さん(天理大での上映会の段取りをしてくれた方)が未だおられた。ギャラリーにはバリ舞踊のカラフルな写真が所狭しと展示されていた。
文化宮写真展
玉地俊雄さんは写真だけでなく漫画で描いたバリ舞踊も何点か展示されていた。
1115-1.jpg
画風というのだろうかあの天才漫画家・手塚治虫を思わせる。経歴を拝見すると手塚先生と交流があり劇場用アニメ「千夜一夜物語」や「火の鳥」などにも携わったとか。なるほどである。写真もすばらしいがこの紹介した絵も素敵だ。3ケ月のロングランなのでまた何度か伺ってじっくり観てみたいものだ。


人間魚雷回天 その5
ドキュメンタリー映画の第二弾「語らずに死ねるか!~無名兵士たちの声~」(仮題)の上映場所は先ず、昨年と同じ「なかのゼロ 視聴覚ホール」で決まった。
4月10日(金曜日)18時からと4月12日(日曜日)14時から。抽選で決まり、上映費用を支払った。上映場所は決まったものの、未だまだ製作中どころか撮影も半分も終わっていないのが現状である。今日で、5回連続で山口県周南市大津島の人間魚雷の慰霊祭について掲載してきた。

猪熊氏にインタビューする長尾栄治監督とカメラをかまえる吉田武カメラマン(回天発射実験訓練基地にて)
取材班
今回の大津島ロケーションは猪熊氏を新幹線に同乗してインタビュー。さらに、大津島からの帰路の10日は吉田カメラマンの実家近くの兵庫県加古川に立ち寄り、戦場体験者をインタビューした。
印象に残ったのは「黒い不気味な人間魚雷」と大津島の過去の遺物「回天発射訓練基地跡」である。
回天模型
枯れ草の奥に”つわものどもの夢の跡”回天発射実験訓練基地が見える。
つわものドもの夢の跡



人間魚雷回天 その4
猪熊得郎氏は私たちの映画と共同で製作する「戦場体験放映保存の会」に理事として、また、同保存会の「元兵士の会」の幹事でもある。
私たちは猪熊氏とかつて回天訓練基地だった大津島に朝一番のフェリーで渡った。11時30分から開かれる慰霊祭の前に猪熊氏と、昨日紹介した回天発射訓練基地に訪れた。その後、回天記念館へ。
記念館前への道に戦没者である搭乗員、整備員の145名の慰霊碑がある。
並ぶ慰霊碑
その中に、猪熊氏の兄・猪熊房蔵氏の慰霊碑もある。好きだった森永キャラメルと明治製菓の板チョコを毎回供物としてお花と一緒に東京から持って来るそうだ。
キャラメルとチョコ28

兄の慰霊碑で


人間魚雷  回天 その3
山口県の旧徳山市(現周南市)。9日の日曜日、この港から瀬戸内海に浮かぶ大津島で開かれる「人間魚雷・回天」の慰霊祭を取材した。我々が製作する映画の主人公のひとりである猪熊得郎氏。兄の猪熊房蔵氏は人間魚雷回天の白龍隊で、どのような訓練を受け、いつ出陣し、何処で亡くなったかを20数年前から執拗に追い続けているという。仲が良かったという兄の終焉を知ろうとするのは当然なのかも知れない。氏は毎年、この慰霊祭に参加している。兄の猪熊氏は昭和20年3月24日、沖縄ケラマ海域で消息を絶った。ここまでを弟の猪熊氏の執念で突き止めた。
猪熊房蔵氏(享年18才)の数少ない肖像写真。
戦死した猪熊房蔵氏
大津島には回天のシンボル的建造物が今も現存している。猪熊氏とツーショットで。
猪熊さんと記念写真
映画で製作された寸分大の「回天」レプリカが徳山港の船着き場に展示されている。
回天の模型
そもそも「回天」とは太平洋戦争末期?天を回らし 戦局を逆転させる?という願いをこめて 昭和18年夏人間魚雷「回天」は誕生した。魚雷に大量の爆薬を搭載し隊員自らが操縦して敵艦に体当たりするという特攻兵器である。
大津島は「回天」を数少ない島の観光事業として島おこしに役立てている。平和な日本だからか?発射練習場跡はこの島のシンボルとして観光客が必ず訪れる。
大津島シンボル回天練習所1
夕方近くまで、一日中曇りだったが、雲間から日が射した。
夕方の発射場JPG

人間魚雷 回天  その2
三連休の間にバタバタと11月9日に開かれる「回天の慰霊祭」の取材が決まった。休み明けの4日に
取材をどのようにするかの打ち合わせをした。演出の長尾栄治は休み中に取材を兼ねて撮影許可を取り付けたり、私は知識を得るために「回天」についてにわか勉強をした。今回、遺族の猪熊氏と同行取材をすることになった。氏のお兄さんが「回天」の操縦士として出撃をし亡くなった。氏自身も陸軍の兵士として満州からシベリアに抑留された一人である。いわば「戦場体験者」として辛苦を味わった方である。猪熊氏は80才とは思えない元気で私などよりずーとはつらつした「老人=青年」である。
8日(土曜日)カメラマンの吉田君と演出の長尾が新幹線で猪熊氏と同行しながら取材し、予算の関係で私はANAのマイレージで宇部空港から徳山に入り、彼らと合流する。9日に慰霊祭が行なわれるために徳山のホテルはどこも満員である。大津島へのフエリーこれまた満員だそうだ。せっかく宇部空港から乗って行くレンタカーも車両を積むフェリーは満員で行けないとは・・・・・・仕方がないので、大津島までは港から徒歩で取材をしなくてはならない。多くの遺族の方々も皆、徒歩で慰霊祭に参加するそうだ。

人間魚雷 回天
現在製作中のドキュメンタリー映画「語らずに死ねるか」の中で「人間魚雷回天」の慰霊祭を取材する事になった。慰霊祭は11月9日 山口県の徳山港からフェリーで45分ほど所にある大津島で行なわれる。私たち取材班も慰霊祭に参加することになった。調べていて驚いたことに2003年にこの徳山市が町村合併で消滅している事を知った。何と「周南市」という意味もない名前の市にに変わっていた。徳山と言えば毛利家の城下町として歴史上でも知られている。

慰霊祭が行われる周南市の大津島は人間魚雷「回天」の発射訓練を行なったゆかりの旧日本海軍の基地があった。写真は大津島の全景。
大津島
人間魚雷「回天」の実物模型が島の記念館に展示されている。
人間魚雷写真
人間魚雷回転とは:回天(かいてん)は、日本海軍の特攻兵器の一つで、九三式三型魚雷(通称「酸素魚雷」)を改造した、人間が操縦してぶつける有人の魚雷。一発で大型の軍艦を撃沈できる様に爆薬量を1.55トンとした。的(てき)、〇六(マルロク)との別称もある。「回天」は、「天を回らし、戦局を逆転させる」必死必殺の救国兵器とされた。



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