訪問者数
プロフィール

吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「あの戦場体験を語り継ぐ集い」の戦場体験者の声から(1)
日比谷公会堂での22名の戦場体験者の声を短く文章でブログで掲載してみます。この集いを主催したのは、「戦場体験放映保存の会」が中心的な主催者であるが「元兵士の会」と「孫の会」がある。
会場の日比谷公会堂
公会堂-2
公会堂の中、 壇上で語る元兵士の会の人たち
会場中ロング
会場でその証言をあらかじめまとめて冊子にしてあり、壇上に上がられた、それぞれ22名の方のお話を聴く上で役に立つ一冊であった。22名と書いたが、実は原稿まで書き、壇上に上がらないうちに亡くなったYさんの証言をビデオレターのようにして会場のスクリーンで流された。
  このはサイパン 全員玉砕の地から私だけなぜ還ったと語っている。Yさんは戦後ずーと自分だけが生き残ったことに懺悔した。サイパンは米軍の上陸を受け、一般の住民も巻き込んだ悲惨な戦闘になった。戦闘10日目、日本軍はサイパン島を放棄して在住法人も含めた6万人を見捨てた。しかし、この中で一人生き残った事を誰が責められようか。この話を聞くに付け戦争の惨さを感じた。
この私のブログでは次の回にも私の印象に深く残った証言者の言葉を綴りたい。
スポンサーサイト
「あの戦場体験を語り継ぐ集い」を取材
撮影が進んでいる私たちの映画製作第2弾「語らずに死ねるか!~無名兵士たちの声~」(仮題)で共同製作をする”戦場体験放映保存の会”が日比谷公会堂で第2回の語り継ぐ集いが開かれた。私たちの取材班も、早くから、大勢の戦場体験者の方々が来場する姿を取材した。保存の会の30名以上のボランテイアスタッフ、元兵士の会、孫の会が戦場体験者を迎え、1000人以上収容する一階はほぼ満杯という盛会だった。日比谷公園の一角に昭和4年に建造された日比谷公会堂は幾多の歴史を見つめてきた威厳に満ちた建物には感慨深いものを感じた。
会場ロング
私たちが会場入り口で品の良い老夫婦から「記念写真を撮っていただけませんか」と持参したカメラで撮影を頼まれた。ついでに私のカメラで失礼して1枚を撮らせてもらった。お聞き出来なかったが、多分、このご主人も戦場を体験した方だろうか。ご丁寧に「プロのカメラマンに撮影していただきありがとうございました」とお礼を言われた。ほのぼのする光景で嬉しくなった。
ほのぼのしい老夫婦
会場では保存の会のスタッフが準備におおわらわ。
会場準備をする会員
スタッフがミイーテイング
スタッフJPG
ボランテイアのスタッフが戦場体験者と語る
提.橋JPG
13時からおよそ22名の戦場体験者が壇上で貴重な体験が語られた。
詳細は次回のブログで掲載します。




イスラム教の伝来の町、バンダアチェ
秋のお彼岸。先にもお伝えしたように23日のお彼岸お中日に「特攻平和観音」の慰霊祭は住職がお経を読み、神官が祝詞を唱えた。観音堂の中で、仲良く? 住職と神官が並んでいたのが印象的だった。私にとって始めての光景だったから尚更である。

「故国をつなぐ歌」の製作以来、私のライフワークになりつつあるインドネシアのアチェは何かにつけて、私の気になる地域の一つである。
インドネシアのイスラム教は、人口の2億人の実に90%である1億8千万人を抱える世界最大のイスラム地域である。その中でもアチェはイスラム法が適用されている。イスラム伝来の地であるから当然かも知れない。
写真は4才ぐらいの女の子がお母さんに被り物を付けてもらっている。
モスクの小さな女子
12月31日 撮影。モスクの中でも女子、男子が分けられている。外でお祈りをする女性たち。
礼拝する女たちJPG



世田谷 特攻平和観音慰霊祭
9月23日 秋分の日、 毎年開かれる世田谷山観音寺(世田谷観音)の特攻平和観音慰霊祭は今年で57回を数える。我々映画制作の取材班も朝10時からお寺に行く。大急ぎで製作した全国甲飛行会の公式ビデオ「帽降れ!甲飛会解散式の集い」も販売のテントの片隅を借りて予約販売をした。
相変わらず元気な元青年たちだ。今日の元青年たちは陸軍予科練習生たちである。(先日のは海軍)午後2時、梵鐘が3回鳴り、住職(山主という)の読経と神官による祝詞が唱えられ、特攻平和観音奉賛会の会員の方々を中心に開かれた。
当日のもようを写真でお見せします。
特攻観音堂 全景
観音堂1
ラッパ隊  捧げつつ!
ラッパ隊
焼香する方々の列が参道にあふれた
お焼香
焼香する
お焼香2JPG
神仏混合 神官が先頭で退席する
神仏混合2JPG





神仏混合の日本の秋
お彼岸前の日曜日であるが、あいにくな雨模様である。また、あちこちの神社で秋祭りが行なわれている。私は菩提寺の龍光寺にお彼岸のお参りに行った。お寺の墓地は線香の紫煙が辺りを覆っていた。墓前には色とりどりの花で飾られていた。寺までの途中、根津神社、白山神社の神輿巡行と谷中墓地に近い事もあり猛烈な車の渋滞に会ってしまった。まさに日本独特の神仏混合をもろに体験してしまった。
スマトラのアチェに行った時、或る人からあなたの信仰する神は何ですかと聞かれた。私は無信心ですとはこの土地では答えることが憚れる。「私は仏陀です」と一応答えるが神道でもあるから、正直答えに窮してしまう。イスラム教が東南アジアではアチェに始めて入ってきて、広がっていった。
当然、アチェの人たちの90%以上が敬虔なイスラム教徒である。
サクラさんもイスラム教徒である。仏教徒の父親の墓前に手を合わせるのは抵抗がないようだ。
(今年4月に来日した時の墓参り風景)
サクラ墓参りJPG

「帽振れ!全国甲飛会 解散記念の集い」DVDビデオ
9月1日に「帽振れ!全国甲飛会 解散記念の集い」を取材した事は既にブログでお伝えしていますが、この記録映像を販売する事になりました。当初、全国甲飛会の機関誌で広く広告していただく予定でいましたが、本年12月に事実上解散するために広告をする事が出来なくなりました。
 ビデオの内容は9月1日に靖国神社の参集殿に会員や関係者が集合し参拝する様子、浅草ビューホテルで行われた解散式典、懇親会などが余す事なく記録された事務局公認の記録ビデオです。
 なお、9月23日世田谷区で「第57回特攻平和観音年次法要」が開催される。我々も取材に伺う予定になっている。この会場で、即時販売と当日購入なさらない方の申し込みをします。販売収益金は今製作しているドキュメンタリー映画「語らずに死ねるか!無名の元兵士たちの声」の製作資金になります。ご協力のほど宜しくお願いします。
ぼうふれ


第一作「二つの故国をつなぐ歌」の上映実績
ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」が製作完了したのは昨年の3月末、それから1年半の時を経て、東京、長野県、京都、奈良、兵庫さらにインドネシアのジャカルタ、ロケ地のスマトラ島のバンダアチェと16カ所、約5000名の方々がこの映画を鑑賞してくれた。これほどまでの上映の実績をあげたドキュメンタリー映画は他にないのではないだろうか。オリンピックならさしずめ銅メダル級の実績かもしれない。金、銀メダル級と書きたいが、それほど私も図々しくない。映画の1シーンなど数々の懐かしい写真を貼付します
○映画のチラシ 5000枚のチラシが印刷された。
diva_chirashi.jpg

○平成20年4月29日 安曇野市の早春賦歌碑前で(第25回早春賦祭りの時)
DSC_0172.jpg

○昭和59年3月 第一回の早春賦祭りで(姉の真紀子、私の父・吉丸昌武と)
59/歌碑建立とサクラ

○サクラさんの父、池尻昌言
昔 白黒写真04

○桜が満開 安曇野の早春賦歌碑
S2028.jpg

○平成19年1月元旦 
ホテルチャクラドーニヤ(バンダアチェ)の早春賦モニュメント除幕式にて
DSC_7156.jpg
○早春賦モニュメントの除幕式で「早春賦」を歌ったDiva合唱団の少女たち
DSC_7125.jpg

○父・池尻昌言のお墓参りをする映画の1シーン
DSC_5438.jpg

○津波で流され亡くなったDivaの妹・Diraの墓参りをするサクラファミリー
DSC_6652.jpg
○映画のラストシーン Divaが妹のDindaに「早春賦」を歌ってあげる
8ヶ月の妹とJPG

○昨年9月1日のバンダアチェの上映会
acehjyoei-1.jpg






制作中の新作ドキュメンタリー映画
9月3日にブログを書いたまま、その後、日々の忙しさに奔走している。12日、13日の2日間は28件以上の方々が私のブログに立ち寄っていただいているが、更新されていない文面にがっかりなさっているだろうか。それにしても、ブログの更新を怠る間にくだらない投稿者(侵入者)から低俗な文章を書き込んでくるのには腹が立つ。不法侵入者の書き込みを消す作業も一苦労する。
 第2作のタイトルは「語らずに死ねるか!~無名兵士たちの声~」という仮題が上がっていて、インパクトのあるタイトルにして先ず目をひかなくてはならないと考えている。もちろん製作の補助金を文化庁へ提出している。今回は補助金が付かなくても自主制作で上映をして行く考えでいる。
先日の「甲飛会・全国大会解散式の記録」は急遽仕上げをしている。この会も12月には全ての事務的な事も含めて終了してしまうそうだ。10月中旬には完成させてネット販売を計画している。
我々の新作ドキュメンタリー映画の製作便りも当面はこのブログに2本立てで紹介して行く予定である。皆様の口コミでの紹介を宜しくお願いします。
高齢化で解散せざるを得ない「甲飛会」
全国甲飛会はの解散式の「式典開催のご案内」には「前文略・・全国甲飛会は昭和39年4月25日、第一回総会を開催して以来、沖縄を始め国内各地や、台湾、グアム、サイパン、ハワイでの海外慰霊祭を挙行するなど、数々の歴史を刻んで参りましたが,会員各位の高齢化には抗する術はなく、今後の維持運営にも困難を感得するようになりました。・・・略。」と書かれている。”高齢化には抗する術はなく”の文面に感涙を覚えるのは私だけであろうか。会場には北は北海道から南は九州まで、さらに台湾の「台湾中日海交協会」からも3名の方が来日されていた。海軍予科練習生は第1期から第16期生まであり、当然ながら、80才以上のご高齢の方々である。しかし、元気な姿には驚くばかりだ。
台湾の胡順来氏
台湾から

式典1JPG

記念写真 第16期生
記念写真



帽振れ! 全国甲飛会
前回に続いて全国甲飛会の同行取材をブログに書いております。読者の方々は「帽振れ! 全国甲飛会」と書いてもさっぱり何の事か分からないのではないでしょうか。
この「全国甲飛会」とは海軍甲種飛行予科練習生の略したものである。もう少し,親切に書くと「甲種」とは甲乙丙の「甲」だが、当時の旧制中学生以上の学歴者が「甲種」とし、飛行機乗り予科訓練生のことである。”七つボタンの予科練”とか ”桜と錨”の予科練は、当時の若者の男性にとってあこがれだった。もう一つ ”帽振れ!”とは、予科練の若者たちは特攻隊として乗った零戦や爆撃機が離陸する時,陸上から送った者たちは「今生の別れ」とばかりに帽子を振って別れたが ”帽振れ!”になった。

さて、全国から靖国神社に集まった、およそ450名の甲飛会の元若者たちは、バスに分乗して浅草ビューホテルに向った。正午、甲飛ラッパ隊の吹奏とともに軍艦旗が掲揚され、解散式典が始まった。会場は「桜と錨」が入った白の戦闘帽を被った会員たちの熱気が溢れた。
甲飛ラッパ隊の吹奏
ラッパ隊
軍艦旗が掲揚された。
軍艦旗掲揚



二作目の映画製作が始まる
昨年製作した映画「二つの故国をつなぐ歌」が上映後にいろんな形の反応があった。そのひとつに、インドネシア独立戦争に参加した多くの日本兵士たちの話を聞き感激した。主人公のサクラさんの父も、独立戦争には参加することはなかったが、取材するたびに昌言叔父から「声なき声のメッセージ」が私に送られてくる。
最近、私は日本の戦争を知らない若い世代の人たちが、戦場体験をした元兵士の声を真剣に聞こうとするグループ「戦場体験放映保存の会」の活動を知った。この保存会は戦後60周年の年に会を発足させて以来、多くの無名兵士の声を”映像と声”で収録している。私たちはこの活動に賛同し、この保存会と共同製作をすることになった。
製作の意図「戦場体験者は、若くて80才から90才の方々である。彼らは、今こそ自らの戦場体験を遺したい、同じ過ちを繰り返さないためにも自分の体験を子供や孫たちに語り継ぐのが最後の使命だと考えている元兵士の方々である。戦争を知らない世代が圧倒的に多数となり、社会が大きく変貌しようとしている今こそ、私たちは積極的に彼らの声を聞き、私たちの財産として後世まで遺していかなくてはならない」と考え製作に着手した。
9月1日、全国甲飛会(海軍甲種飛行予科練習生)という団体が解散するという。その会の解散式に私たちは取材同行した。
朝、9時、三々五々と英霊を奉る靖国神社参集殿に全国から甲飛会の元兵士や既に亡くなった兵士の遺族たちが集まり、拝殿前で解散の報告をした。
靖国参拝
英霊に挙手で。
敬礼




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。