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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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関西での上映会  第2弾決まる
先の京都産業大学での映画公開は関西における始めての試みであった。次回も授業として天理大学でも取り上げていただくことが決まった。6月24日(火曜日)13時から予定されている。詳細は追ってお知らせします。
映画を製作して実にありがたいと思った事、それは映画の評判を聞いて次から次へと広がりを見せる事である。私がこうして書いている内容も瞬時に日本中の誰かが見てくれている。
天理大学の上映とミニ講義も天理大学出身のインドネシア語を専攻していたOBの方が偶然に私のブログを観た事からである。さらに興味ある問い合わせがあった。先週,会社に「ジャイカ兵庫?」の映画上映担当者の方からである。8月に上映を企画しているということである。
かつてテレビ番組で自分の担当した作品の放映が決まるとせっせと案内のハガキを書いたりしてPRしたものである。しかし、放映をしたその時だけの評判で終わった。映画の上映は地味に長く続くことであろうか。
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京都の上映会とミニ講義は無事終える
昨日、京都産業大学の上映とミニ講義を終えて、正直ホッとしている。
前日の28日から前泊で京都入りした。朝から激しく雨が降り、ホテルから出るのが億劫で、10時頃になり激しい雨も止み、ホテルの界隈(地下鉄四条)を時間つぶしに歩き回る。12時に地下鉄の北王寺で安田先生と合流し大学へ。
大学は広い敷地にいろんな学部の校舎が点在していた。神山ホールはいわば大学の表玄関であり、1600名も収容出来る大ホールを配している。授業は13時15分に始まる90分授業である。12時50分ごろから生徒達が集まって来る。最終的には250名からの生徒が聴講した。私の高校時代の親友N君も神戸からわざわざ来て、生徒達と一緒に私の講義??に参加してくれた。
気になったのが、今どきの生徒はどうしてこんなに消極的なのだろうか。1階の客席(生徒席?)は、後方ばかりに生徒が集中している。本来映像を観るのに適した席はガラガラなのには理解に苦しむ。
講義「ふるさと論」は安田先生が映画「二つの故国をつなぐ歌」と製作者の私の紹介。大きな拍手が湧いたのには恐縮してしまう。
ほぼタイムスケジュール通りの13時30分には上映開始。立派な音響と上映設備には驚いた。東京の有名なホール並みだろうか。上映中は客席で私と先生は映画を生徒と一緒に鑑賞する。
14時15分、映画終了。先日の安曇野へ主人公のサクラさんとD ivaちゃんが来日した様子をニュース映画式に紹介、この15分ほどが私のミニ講義にあたる。生徒達は講義の終わる10分前にミニレポートを書かされる。なにせこのミニレポートを出さないと出席点にならないそうだ。
14時45分無事に90分の長時間を何とか持たせる事が出来た。しかし、映画そのものは講義のテーマ「ふるさと論」にはピッタリの内容なのだが、果たして私の講義??はこれで良かったのだろうか。

今年、ラスト公演「早春賦音楽祭」
安曇野では4月から5月にかけて毎週のように「早春賦」が何処かで演奏されている。5月25日、「第23回 早春賦音楽祭」本ステージが安曇野市穂高会館で開かれた。私たちは毎年、家族でこの音楽会には出席を欠かしたことがない。いわばこの本ステージをもって今年の「早春賦」に関わるコンサートが終わる。
DSC_0028.jpg

写真は「ママノリア」というデビューしたばかりの二人の若美バンド。
演奏には400人近い観客がわいた。
会場では4月29日の「早春賦まつり」にインドネシアから来日したサクラさんとDivaちゃんたちが未だに「旬」の話題となっていた。あの愛らしいDivaちゃんは印象が強かったようだ。サクラさんとDivaちゃん二人が表敬訪問した安曇野市長もコンサートを楽しんでいた。わざわざ帰り際に私を見つけて、市長さんから声をかけてくれた「あの節はお世話になりました」と丁寧なご挨拶をいただいてしまい恐縮してしまった。
京都産業大学での上映会とミニ講義
以前、このブログで告知しましたが、5月29日に京都産業大学で上映会とミニ講義が行われる。昨年4月、インドネシア文化宮で私どもの映画の上映会が開催され、京都産業大学外国語インドネシア語専修の安田和彦先生が出席し、この映画を好評価していただいた。
そして、安田先生の企画で今年4月から「ふるさと論」という授業が始められた。その枠に
映画の上映と講義を含む90分の授業の1コマを任された。今週に入って先生とのメールのやり取りが続いた。この「ふるさと論」の根底にあるテーマは”家族愛”、”家族の絆”である。安田先生は我々の映画にこれ等のテーマが込められていることを観ていただけた。
授業は午後1時15分から2時45分まで。はじめに私の紹介、映画の舞台アチェと大津波と地震について、映画「二つの故国をつなぐ歌」の上映、上映後、先日サクラさんとDivaが来日した様子をニュース映像的に上映し、私の映画製作の思い、二人の出会いと交流を講義します。
それにしても、大学のパンフレットを見ると講義のあるホールは1600人を収容する「神山ホール」だとのこと。今からホールの大きさにびびってしまいそうだ。
さくらさんからの手紙
サクラさんが離日する時に渡された手紙。姉の真紀子さん、私と私の妻に宛てた手紙です。インドネシア文化宮の大川さんに翻訳をお願いしたのはもちろんのことです。
前にも書いたように、今回の来日はサクラさんたちにとって何不自由なく話せ、真の会話の出来る人がいたことが手紙を書く気持ちになったのだと思うのですが。
「まず始めに、私が長い間心に秘めていた気持ちを伝えたい」という書き出しから始まり、「それは、父の人生について霞んだ思いです。私のこの願いを、どうか真紀子さんが聞きいれてくれて、私が満足し、そしてずっと追憶し、思いを馳せるように、全てを明らかにして下さることを、お願いいたします」
やはり、私が思うのは唯一の姉妹である真紀子さんへのいちずな思いが、彼女に伝わらないもどかしさではなかったのでしょうか。手紙の内容にはなかったのですが「真紀子さんは父を戦後帰国してからずーと一緒に居たけど、私が知った時は”父は既に死んでいた”という事実だけです。私の父への思い出は記憶にない生まれた時のたった5ヶ月間だけです」という何回かの同じ言葉でした。
安曇野の有明神社にて 〈神社で手を洗い,己を清める習慣を真紀子さんから説明をうけている〉
水で清める

手紙の最後に「私とDivaの日本滞在の面倒を見るために、あれほどまでも私たちに優しく、そしてとっても忙しく、そして疲れた昌昭さんとご家族も、いつも健康でいて欲しいと願っています。」と私たちに気使いをしてくれた。また最後に「齢(よわい)が私たちを別つ時まで、これら全てを忘れる事はありません。私は,日本にいる全ての兄弟姉妹と別れることを、とても悲しく、そして感傷的になっています。
昨年,9月にアチェに行った時に撮影したサクラさんとDivaちゃん
Divaとさくら



人、間違いをしました
「ブログに投稿してくれた坂根さん」という5月9日付けの写真に(右側を坂根さん)と銘記してしまいました。間違えです。左から2人目が、坂根さんです。 左端は、YWP・福祉友の会現メダン支部長のJamharil H.梅田さん。 右端は、YWP・福祉友の会元メダン支部長のM.Nur小藤さん。坂根さん申しわけ有りません。訂正してお詫びいたします。
 間違いの話題から、今日は「言葉の問題」に振って恐縮です。
今回のサクラさん、Divaちゃんの来日では、正確なインドネシア語の通訳していただいたことがどれほど大切なことだったかを痛切に感じた一週間でした。初めてサクラさんにお会いしてから30数年になります。ちゃんとしたインドネシア語の通訳をしてもらったことって一度もないのです。信じられないでしょうが・・・ イトコ同志は何となくお互いの意思疎通が図れてしまいます、またそれで良いのでしょうが。
 今回、この映画に関わっていただいた大川さん。インドネシア人もびっくりという人との出会いです。(インドネシアに関わった35年、人と真の会話が出来る人)、モッチー(本名:望月由貴子さん)のようにインドネシア語が普通に口からでてくるお嬢さん。私はラッキーにも、このお二人が親身にお世話してくれて大助かりでした。
ゆったりと話すさくらサンの言葉を聞き、また、話し相手になってくれる大川さんは気の許せる日本人。一方で、モッチーはDivaちゃんとまるで姉妹のようにお付き合いしてくれました。気ぜわしく動いた一週間でしたが、二人は今まで体験したことのない満足した日本だったのではないでしょうか。

美少女 Diva
Divaの人気は安曇野の各地でささやかれた。穂高中学では男子生徒から「可愛い!」という声があちこちから聞こえたが本人には「可愛い」なる言葉を理解したのだろうか。滞在中の美少女写真を掲載しました。
コンサート会場での美少女 Diva
コンサート会場

ホテルの中庭で(通訳の望月さん撮影)
by望月

アイスクリームを食べる姿はまだまだ子供である。アイスクリームの形を崩さないように上手く食べていた。
DSC_0068.jpg

碌山美術館で地元TV局にインタビューされる
テレビ取材JPG

穂高東中学で。あどけない横顔だったりする。
学校

はにかみ王女? 結構大食いな少女でもある。
はにかむ焼き肉

ブログに投稿してくれた坂根さん
5月3日のこのブログのコメントに坂根孝さんという方からの投稿があった。3日といえば二人が帰国した翌日だったので坂根さんの投稿のコメントを読む事が出来た。休み明け、坂根さんにメールを入れた。たしか、来日した26日、インドネシア文化宮でサクラさんは「私が来日する前の日にアチェのホテルで日本の方に会った」と言っていた。何かバタバタしていてその話を漠然と聞いていた。その方が、坂根さんだったというわけである。坂根さんの返信メールには「私のブログでサクラさんの来日写真を見つけた」とのこと。そして、写真と添付して送信してくれた。サクラさんにお世話になった事を伝えたかったそうだ。
ホテル・チャクラドーニヤのフロント前で撮った写真。左から2人目が坂根さん。
21日小藤、ナル…?キキ、梅田?

坂根さんはインドネシアの残留日本兵の皆様のYWP福祉友の会で発刊した  インドネシア独立戦争に参加した「帰らなかった日本兵~一千人の声~」という福祉友の会・200号「月報」を編集・発行をなさたそうだ。今回のアチェはその友の会のアチェ支部長のJamharil梅田さんに随行して頂いて訪問したそうだ。



  

タレント並みの過密スケジュール
昨日は何故か、私のブログを読み込もうとすると掲載されている写真が出ない、文字情報だけである。新しいページの書き込みが出来なかった。
5月1日、サクラさん達の滞在が1日だけになった。帰国する2日は早朝に成田に向かう。来日の際に東京インドネシア学校からこの映画の上映とサクラさん、Divaちゃんとの懇親会が予定されていた。しかし、タレント並みの過密スケジュールで彼女達の疲労はピークになっていた。でもいやな顔ひとつせず二人は最後のスケジュールをこなしてくれた。
在インドネシア学校上映会

上映会の後にDivaちゃんに学校側からプレゼントが、また、わたしまでにお菓子のお土産をいただいてしまいました。
記念の着物をもらう

吉丸もいただく

上映会と懇親会には東京インドネシア学校に通う子供達の父兄や生徒達40数人が参加してくれた。記念写真

Divaちゃんは母国語の通じる女子学生とすぐに仲良くなり、メールアドレス交換をしたとか。
お友達に

安曇野市穂高といえば碌山美術館
穂高東中学の中にあの有名な碌山美術館がある。碌山は東洋のロダンといわれ穂高出身の彫刻家である。サクラさんは25年前にもこの美術館を訪れている。この写真は1983年4月20日と印字され,姉の真紀子さんと一緒に写している。
’84穂高碌山

25年後の4月30日、木々は新緑でむせ返るようだ。しかし、25年前は枯れ木。
碌山美術館全景

美術館の中でDivaに説明をしているが・・・何を?
碌山美術館

穂高の知られざる名物のソフトアイスクリーム。濃厚な味わいに全員が大喜びだった。
ソフトアイスを食べる

Divaはソフトアイスクリームは初めて食べたとか。熱い国のインドネシアではすぐ解けてしまうから
売っていないのだろうか。
Diva美味しく食べる

安曇野の中学校と交流
Divaちゃんもスマトラ・アチェ州の公立中学の1年生である。安曇野市穂高東中学校へ表敬訪問は早春賦愛唱会の西山さんが教育委員会へ交渉し、4月30日の午前中の授業へ参加することで実現した。ちょうど3年生の音楽の授業に飛び入りで参加した。
3年生の女子生徒と握手するDivaちゃん。男子生徒からは「可愛い!」の声も聞こえた。
生徒と握手

女子生徒と一緒に「早春賦」や「故郷」を歌う。
女子生徒と早春賦を歌う

一緒に唄う

教頭先生と固い握手をする。先生方からも人気抜群だ。
教徒先生と握手

穂高東中学の玄関前で記念撮影をする。左側、二木校長先生。右から2番目、西山紀子さん。
東中学の校長さんと

有明神社は未だ桜が咲いていました
第二次大戦の時にインドネシア ・スマトラ、メダンに駐留していた関鶴二さん。安曇野市明科に住む、88才米寿を迎えた方である。昨年4月と12月8日の2回、安曇野での上映会にも参加していただいていた。そして、市民タイムスを見て、29日「早春賦まつり」は是非さくらさんにも会ってみたいとインドネシアの国民帽子を被って、朝早い時間から我々が会場に来るのを待っていたそうだ。私が「どこか桜が残っている処がありますかね」と聞くと「有明神社の桜は未だ大丈夫ですよ」と教えてくれた。コンサートの1部の後、有明神社を訪れた。
姉の真紀子さんと山門をバックに。
有明神社山門にてJPG

関鶴二さんがいつの間にか、神社にも一緒に来てくれていた。
本殿にて

神社の「お守り札」を二人にプレゼントしてくれた。サクラさんは「”お守り”この小さな札が私たちを守ってくれるんですか」と言っていた。
メダンに駐留していた関さんからおみくじが

おみくじも引いた。「小吉」とか。桜の枝に結びつけた。
おみくじを桜の木へ

白い花びらをいっぱい付けた桜の花。
桜の花とサクラ

早春賦まつりコンサート
早春賦まつりの後、午後から歌碑のすぐ近くにある ”あづみの野コンサートホール” で早春賦まつりコンサート第一部「インドネシアと安曇野が結ばれて」と題して開かれサクラさんとDivaちゃんも喚ばれた。
コンサート

早春賦愛唱会の西山さんから紹介を受ける。緊張するサクラさん。
紹介されて

続いて、映画「二つの故国をつなぐ歌」のテーマ曲を歌う川端のぞみさんと愛美さん姉妹。
歌われている「私」というのはDivaは「自分なんだ」と初めて分かったとの事。
Divaのup

サクラさんも目頭を押さえていた。
川端姉妹と歌う

また、折井清純さんが演奏するマンドリン曲「デーイバの夢」の美しいハーモニーに聞き惚れていた。
折井さんの演奏


聴き惚れてJPG

「デーイバの夢」の作曲者である折井さんと是非握手をしたいというDivaのリクエストに答えて。
折井さんも顔をくしゃくしゃにして喜びを表していた。
折井さんと握手

子供同士には国境がない! 川端のぞみさんから折り紙で作った作品をプレゼントされた。
川端さんと

「いのちのきずな」を作詞、作曲をした古原さよ子さん(右端)、川端姉妹と記念写真。
azumino-14.jpg

安曇野の早春賦まつりに参加した三日間
前日の28日、我が家ではファミリーが二人を歓迎した。
翌日、「あずさ11号」で、春たけなわの安曇野へ。はっきりしなかったお天気も素晴らしい晴天に恵まれた。29日の「早春賦まつり」本番は、最高のお天気だった。平林市長が「私が町長、市長の14年間一度も雨が降らない好天気の連続です」と自慢していた。
吉丸家勢揃い

松本駅に到着。自動改札にまごつくDiva.
松本駅で

安曇野市長を表敬訪問し、記念撮影をする。
左から二人目が早春賦愛唱会の西山紀子さん。三人目が平林市長。
市長訪問

翌、29日に「早春賦まつり」の”三世代合唱団”にDivaと一緒に参加した。
DSC_0152.jpg

アルパクラブのインデイアンハープ演奏の皆さんと記念写真。
Jハープと記念写真3

早春賦の歌碑前で吉丸家と記念写真。
左からMrs吉丸、田島(吉丸の姉)、末浪真紀子(サクラさんの姉)
歌碑の前で記念

記者に囲まれて。
DSC_0167.jpg

第25回早春賦まつりに参加
サクラさんとDivaちゃんの日本滞在を写真で綴ってみた。今回の来日の大きな目的は4月29日に信州・安曇野で開催される「早春賦まつり」に参加することである。この祭りは今年で25回目という歌碑の周年祭りがこれほどまで長く続けているのは非常に希であるそうだ。毎年、吉丸家は町から招待されてほとんど欠かさずに参加している。イトコのサクラさんはこの歌碑が建立された25年前に偶然にも参加している。この事は映画「二つの故国をつなぐ歌」で紹介されており、作品の大きなポイントの一つになっている。
昨年私が、9月にアチェを訪れた際、サクラさんに来年25回目と言う節目の年だから是非、参加してはどうかと伝えた。安曇野市の早春賦愛唱会からもラブコールがあり、会長の西山紀子さんたちは数ヶ月前から準備に奔走していた。実現したこの日が本当に嬉しいと語っていた。
地元の有力紙・市民タイムスが事前記事を載せてくれたことで話題も広がり、「早春賦まつり」が開催された翌日には一面にトップで掲載された。
市民タイムス記事



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