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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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ドキュメンタリー映画を製作して丸1年が経過した
巨大津波襲来3周年
私たちが製作したドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」の本格的な撮影に行ってから丸1年が経過した。そして、今年3月に製作が完了し、日本全国で上映会が開催され、多くの感動が寄せられた。また、この映画のインドネシア語版を製作し、9月に舞台となったバンダアチェでの州政府主催の映画会に2000人の小中学校の生徒が鑑賞してくれた。多くの上映会の中で得たあの感動は忘られない。鳥肌が立つ思いだった。製作者冥利に尽きるというのはこの事だろう。
先日の12月26日、高田馬場にあるインドネシア文化宮で巨大津波襲来3周年の上映会が行われ、メトロTVが製作した「4人のカメラマンが撮った映像」と「The Tsunami song」の2作品を観て、悲しみを新たにした。
私たちは昨年の津波襲来2周年にバンダアチェで取材した当時の未公開の写真を掲載した。

半旗

モスク前にひるがえる半旗
復興する家並み

次々と建設される家々
流された豪邸

津波の象徴とも言える豪邸(津波の博物館になると言われている)
一本の木JPG

津波にも負けず立ち続けた1本の大木
復興しない養殖池JPG

エビの養殖池も多数流された
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元、近衛師団第二連隊所属
12月13日(木曜日)雨のち曇り
会社の業務拡張に伴い、撮影機材や完成されたテープ置き場が年々頭の痛い問題になっている。
スタッフが座る席の周りにまで迫って来た。最近、手頃な倉庫物件が借りられたので引っ越しをした。引っ越しは夜までかかりブログの続きが書けなかった。

 今回の上映会に安曇野市在住の88才の元軍人の関鶴二さんが上映会にいらっしていた。背筋のピンとした姿勢の良い旧軍人を彷彿させる方である。昭和18年にスマトラ、メダンに入り近衛師団第二連隊に駐留していた。スマトラ島は戦闘のない当時としては平穏な所だったそうだ。この関さんは、去る4月29日に安曇野での上映会にも出席していただけたが、私たちの情報収集が悪く最近分かったような状況である。この安曇野での上映会の火付け役は地元新聞の「市民タイムス」の5連載記事である。関さんはこの記事を切り抜いて東京の戦友会に送ったそうだ。来年早々には会報に載るそうだ。戦友会と聞いて私たちは俄然、取材せねばならないという気持ちになった。この映画「続・二つの故国をつなぐ歌」のシーンとして使えるかもしれないからだ。

安曇野に爆弾が
12月11日(水曜日)  晴れのち曇り
戦争を体験した大人から聞いた実話を元に、3年前、安曇野の児童が書いた紙芝居がプロジェクターから流れた。昭和19年、穂高町(旧)に落とされた一つの爆弾で頭にけがをしたおばさん、手をガラスの破片で切った人、幸いにも亡くなった人はいなかったそうだ。この実話を「ミーちゃん」という小学校の女子生徒が見た目を紙芝居にした。絵は稚拙ではあるが、朗読とマンドリンや合唱曲が入るとズーン心に染み渡るものだ。会場はこの実話を体験したという穂高在住の人たちが真剣な眼差しで画面に見入っていた。

安曇野の上映会は大盛況だった
12月11日(火曜日)
安曇野から戻ってからすぐに上映会の話を書き上げなくてはならないと思いながらボーとして時間のみが流れてしまった。ブログのカウントを見ると今日は22を示している。皆様は安曇野の上映会の事を知りたかったのだろうか。
8日の土曜日、安曇野市穂高会館は朝から「Diva早春賦をうたう上映実行委員会」のスタッフがテストを繰り返していた。私と長尾君は12時半を廻って会館に到着した。ボランテイアの人たちから拍手で迎えられた。我々は主役なんだ!プロローグ-2のNYUWONG(いのち)の映像に磯野さんという女子高生の方があの絵本の中の作文を朗読。あの絵本も綺麗にスクリーンに再現していた。
完全にリハーサルが終わらないままに4時の開場になった。続々詰めかけるお客さんに感激する。
4時半、定刻通りに早春賦合唱団のオープニングに吉丸一昌の「故郷を離るる歌」などが歌われた。そして、オープニングの66年前の12月8日の象徴的なニュース映像が流れた。「我が帝国海軍は本未明、米艦隊を攻撃せり」とかん高い声でニュースを読み上げる有名な映像だ。会場はしんと静寂が漂った。
いよいよ最後の上映会
12月7日(金曜日)晴れ寒い
いよいよ明日は安曇野での上映会である。恐らく、この映画の最後の上映会になるであろう。詰めの打ち合わせ事項が安曇野の西山さんから連絡が入る。12月8日の上映会は,ずーと先の話のように思っていたらいよいよ”明日なのだ” 4時半開演。
 66年前の12月8日は日本軍がハワイの真珠湾攻撃をした日であり、事実上、太平洋戦争が開戦した。長い間インドネシアはオランダの植民地であり、開戦から1年後の昭和17年、日本軍がスマトラ各地に上陸し、アチェにも上陸した。一方で、戦争とは無縁と思われた安曇野からも多くの若者が戦地に向かった。
 この上映会の第一部では現代の子どもたちが描いた紙芝居「日本の子どもに降りかかった戦災」また2004年12月の未曾有の地震と大津波という天災に遭った「インドネシアの子どもたちに降りかかった天災」二つの「災難」を「絵と朗読と歌」で表現し、メインの映画「二つの故国をつなぐ歌」につなぐプロローグになる。
場所:安曇野市穂高会館 時間:16時30分開場。
映画終了後、18時30分から、私たち製作者と一緒に「シンポジューム茶話会」を予定されている。この茶話会もどんな意見が交わされるか楽しみである。


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