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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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サクラさんには桜が似合う
11月28日(木曜日)曇り
やはりサクラさんファミリーの来日の時期は日本中が桜が咲き誇る一番美しい時期であろう。この2年は3月の25日頃から4月の10日頃までが満開が続いた。しかし、実を言うと安曇野市で毎年開催する4月29日の「早春賦まつり」が良いような気がする。安曇野の桜は遅いから見られるような気がする。しかも、昭和59年の第一回目に出席した縁の深いお祭りである。来週の上映会の際に反応を聞いてみようと思う。
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来春にサクラさんファミリーが来日か
11月28日(水曜日)曇り
忙しさに加えて、風邪が治らない。風邪が流行っているようだ。連休は忙しいとか風邪をひいたなどと言いながら札幌に出かけていたりして、ブログを書く暇もない。昨日は17件もブログを視てくれている人がいた。更新した記事がないのに申し訳ない気がする。
昨日、久しぶりにアチェからのメールが来ていた。Divaのお父さんが何時も英語でメールを入れてくれる。9月に上映のためにアチェに行った時、サクラさんは来春には日本に行きたいと言っていた。サクラさん、Diva,Daisy,DiraそしてDian、出来たらDirhamもスケジュールが許されれば一緒に行きたいが、3月は季節的にはどうかと。5人からの宿泊はどうすれば良いか・・・ホテルではきついな~ 来春までに決めないといけない。
大川さんに返事をインドネシア語で書いてもらう。東京の桜のベストシーズンや安曇野は4月29日の「早春賦まつり」の頃が良いと初めてインドネシア語で送った。多分驚いているだろう。

新しい飛行機会社 エアーアジア
11月19日(月曜日)晴れ
寒い月曜日である。先日、インドネシア文化宮の大川氏が言っていた。マレーシアを起点にした超安いエアーラインが、今、東南アジアで話題になっている。一番興味をひいたのは、クワラルンプールからアチェに週3便、11月7日から就航したそうだ。いよいよアチェもインターナショナルな空港に仲間入りした。先日もこのブログでアチェに新しい空港ビルが建設中と書いた。多分、あの空港ビルは未完成のはずだ。だから、あの狭い現在の空港ビルがもっと混雑することになるだろう。
このエアーライン「air asia」という真っ赤な機体がホームページで目をひく。なかなか格好良いデザインである。
airasia_ship.jpg

「air asia」という会社のサービスがおもしろい。従来の飛行機会社は各国に支店網を作ってチケットを売る。このエアーラインは徹底的に無駄な?経費を使わないように、ほとんどがインターネットでの販売でチケットレスだ。座席も指定されない。全部が自由席とか。新幹線の自由席みたいだが、さすが立ち席はない。機内サービスも全て有料である。飲み物も食事も機内でお金を払って購入するシステム。肝心な飛行機代はアチェ~クワラ間が日本円で往復8000円ぐらいだから、嬉しいが・・・しかし、安全はどうなのだろうか。



プロローグの映像はスチル写真
11月13日(火曜日)晴れて温かな日和である。
この所急な仕事が入って毎日がバタバタしている。安曇野からはもう冬仕度が始まったことが知らされてくる。12月に入ると野沢菜を洗う風景が見られるかもしれない。
今回のプロローグの第二幕はインドネシアの地図からスマトラ、そしてアチェを見せて始まる。日本人のほとんどの人たちはアチェと言っても知らない。上映会の主催者の西山女史も
スマトラの位置もおぼろげでアチェは何処に有るか知らないそうだ。「二つの故国をつなぐ歌」にはアチェの場所はナレーションでしか言っていないから無理ないかもしれない。
地図から、アチェのモスクや人々のシーンに。全部スチル写真構成である。朗読と音楽がマンドリン、ピアノ、声楽・・・まるで一昔前の無声映画のようだと言えば分かりやすい。
絵本の中の1枚の絵
11月11日(日曜日)曇り
今日は「Nyawoung いのち」の中の1枚を見てみる。上映会ではこのような絵を5カット上映会で見てもらう。バックに朗読で昨日紹介した作文を読んでもらう。
20070805203316.jpg

この絵には「おお、神よ」というタイトルがついている。小学校の女の子が書いている。
リアルである。建物の2階から小さな子どもが叫んでいる。また、建物の左右には溺れかかった子どもがいる。さらに、左から角が出たような津波が押し寄せて来る。2波の津波だろうか。真ん中の茶色の流れに車や椰子の木などのゴミと一緒に人が流されている。皆、目をつぶっているので死体なのだろうか。
津波で「右足を失ったサッカー少年ファウザン」の作文
11月9日(金曜日)晴れのち曇り
ブログの続きを書こうかと思ったが、昨日は東京モーターショーを観に行きくたびれてしまった。パソコンに向かう元気もなかった。
続きを書こう。『気がつくと、ファウザンは病院のベッドの上でした。お母さんとお父さんが泣いています。巨大な津波が来て、たくさんの人の命をうばい、町を壊していったと、お父さんが話しました。ファウザンは突然、右足にずきずきする痛みを感じました。なんと、右足がなくなっていたのです。お父さんとお母さんは、ファウザンw抱きしめました。家に帰っても、もう、友達と一緒にボールをおいかけることができません。村の子ども達がサッカーをしているのを観ると、なつかして、心が痛みました。でも、ファウザンは生きていられるのがどんなにありがたいことことか、わかってきました。それほど多くの人が津波で亡なったのでした。今では、サッカーをしている友達の応援をしたり、練習を見てあげたりしています。サッカーのヒーローにはなれなくても、サッカー好きの気持ちは変わらなかったのです。』
この絵本のタイトル「いのち」の大切さを問う作文である。
絵本「Nyawoung いのち」の紹介
11月7日(水曜日)晴れ
今回の安曇野での上映会で以前紹介した「Nyawoung いのち」の絵本の部分と作文を映像に盛り込んだ形で上映する。この絵本を読んだ安曇野上映会の主宰者である西山紀子さんがいたく感激して、是非今回の上映会でも紹介したいということで取り上げることになった。発行元でもあるインドネシア文化宮の大川さんからも了解いただいた。この絵本の詳細は我がブログの8月5日に書かれているので割愛する。下の写真を見て思い出す方もおられると思う。
20070805203255.jpg

この中の作文「父を失ったリフキ」と「右足を失ったサッカー少年ファウザン」は涙なしには読む事ができない。この二作を朗読し、絵本を映像にして上映する。「右足を失ったサッカー少年ファウザン」の一部を抜粋して掲載する。[日曜日、ファウザンたちは他の学校のサッカーチームと、試合をすることになっていました。朝の7時半にサッカー場に集まって、ウオーミングアップをしていると、突然地震が起きました。揺れがおさまっても、ファウザンたちはそこにじっとしていました。試合はまた今度にしようと話していた、その時です。たくさんの人が、運動場から逃げながら、叫んでいます。「水が来るぞ!にげろ!」 何が起きたのか分からないまま、ファウザンたちもその人たちと一緒に逃げだしました。大きな波がみんなを飲み込んでいきました。ファウザンは目を閉じ、息を止めました。右足が、何か硬くて鋭いものに斬りつけられたように感じました。]
明日に続く。
プロローグの映像制作
11月5日(月曜日)晴れのち曇り
今日は我が社の給料日である。今年の6月から銀行振込になった。それまでは、給料袋に入れて、一人ひとり私が手渡しした。「ありがとうございます」と社員が言ってくれたのだが。
まーこれも時代の流れか。
安曇野上映会の話にしよう。なにしろ、15分の映像を制作するのだから、結構大変だ。
S#1 インドネシアの地図、アチェにズームイン。(観客のほとんどがアチェを知らない。スマトラも知らないだろうから、先ずは位置の説明から入る)
S#2 私が見たアチェの景色 S#3 アチェの津波後の悲惨な景色。S#4 アチェの子ども達が描いた絵と文(右足を失ったサッカー少年ファウザ、父を失ったリフキ)の二つの作文と画を5カット そして、S#5 安曇野から贈られた品物を贈呈する写真。全てがスチールで構成する。
学童疎開でやって来た子どもたち
11月4日(日曜日)晴れ
すばらしい秋晴れである。朝、早起きして家の周りを散歩した。緑の多い私の家の周りは秋色がいっぱいである。赤くなった柿の実をつつくヒヨドリ、朝露に光る女郎蜘蛛の巣、色づいた木の葉普段何気なく観ていた景色が新鮮に写る。
前書きが長くなったが、安曇野上映会のプログラムの続きだ。昭和19年、東京は工場地帯に次からつぎと爆弾が落とされた。東京からの学童疎開の子どもたちが戦火をを逃れて安曇野のお寺や小学校に寄宿した。親元から離れて来た小さな小学生もいたそうだ。小さな子どもたちには「集団疎開」する意味も分からないままの子どももいた。毎晩夜になると母親恋しさに泣いていた。
そして、空襲には無縁だと思われた安曇野にもB29から爆弾が落とされた。
安曇野の戦争体験
11月1日(木曜日)晴れのち曇り
昨日も今日も日が出ると暑いくらいになる。新宿の雑踏に出ると汗をかくくらいである。
さて、安曇野での上映会「早春賦劇場」では、安曇野での戦争体験が子どもたちによって紙芝居になった。その絵を基にしたDVDの映像に合わせて朗読をする。この紙芝居は、実際に起こったことを、安曇野の小学生、中学生が戦争体験をした大人から聞き取り制作した。タイトルは「ミーちゃんの戦争体験」という。  ミーちゃんが小学校に入った時にお父さんのところに突然「赤紙」という兵隊さんになりなさいという紙がきた。ミーちゃんや家族のみなはとても悲しかったのですが、それを隠してお父さんの入隊の準備をしました。
とうとうお父さんが戦地に行く日が来た。家の前は沢山の人が集まり日の丸の端を振ってお父さんを送りました。
朗読はこんな映像から始まる。



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