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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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8月26日の続き
続きです。
武田姉妹の遅刻だったが、丁度,第一部が終わり、舞台ではマンドリン演奏の第二部の準備をしながら、ナビゲーター矢口佳子さんがマンドリン演奏や第三部になる「二つの故国をつなぐ歌」の説明をしていたので武田姉妹を空いている席に案内をした。マンドリンアンサンブル「このゆびとまれ」と折井さんとギターの伴奏・友成貴司さんの絶妙なコンビが奏でる響きは,早くも観客を魅了した。20070829221039.jpg

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大盛況!!大町市文化会館での上映
8月26日(日曜日)晴れ
大盛況の大町市上映会
白馬村で宿泊。私と応援してくれる家内と9時過ぎに大町市文化会館に行く。10時にはホールの舞台でマンドリン演奏者たちのスポットライトの位置決めをした。その後、プロジェクターでスクリーンにテスト投射する。4:3のスタンダードサイズとはいえ大きな画面は迫力がある。音声は文化会館自慢のサラウンドである。
 11時には助っ人として大町高校の同窓会役員の方々が来てくれた。内川賀介同窓会長がカンバンに筆で達筆なタイトルを書いていただく。
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カンバンの前で上映委員会のスタッフと記念写真を撮る。
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12時には,受け付けの準備やCDと関係書籍を並べた。当日受け付けは同窓生の矢口郁恵さんがカンバン娘として座ってくれた。その頃、伊那から来てくれた男性、松本からも電車で来てくれたお客様には感謝!上映1時間前の1時には早くもお客様が並び始めた。
大盛況を予感する雰囲気である。
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私と塩原さん二人でお客さんを迎えた。次々とお客さんが、前売り券を、当日券が飛ぶように売れて行く。カンバン娘「足りなくなったらどうしようか」と嬉しい悲鳴。
高校時代の同期の友人たちが笑顔で私に声をかけてくれる。小学校時代のクラスメイトの大沢民子さんが新聞を見たと言い松本から来てくれた。嬉しいことだ。
1時半を廻った頃に会場をのぞいてみた。1階は7~800人が入る規模の座席がほぼ70%方かた埋まっていた。大町高校の学生がグループで来てくれた。若い学生は目をひく。
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1時55分、「早春賦」のオルゴールが1ベルだ。私は今日のために「早春賦」が開幕ベルとは・・知らなかった。何と気の利いた演出だろうか。
14時、定刻通りにナビゲーターの矢口佳子さんが上映会の案内を開始した。気のせいか声が裏返っている。第一部は「1969.8.11集中豪雨」の上映開始である。オープニングのヘリコプターが被災地を飛ぶシーンである。午前中のテスト上映では低音が響きすぎると思ったが観客が音を吸い取ってくれる。
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第一部が終わる頃に、田辺さんから呼ばれた。若い女性が吉丸さんはを探しているとのこと。白馬の武田さん美人姉妹である。花束とおしゃれな袋に入ったワインを差し入れてくれた。
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大町上映会特集
8月25日(土曜日)晴れ
大町北高校での先行上映
朝,11時にあずさ3号で大町に入る。塩原さんが迎えに出てくれていた。その足で大町北高校での文化祭「白樺祭」に参加する。2時から私と塩原さん、田辺さんが上映会に立ち会った。私が上映会で挨拶をするということで校長先生が気を使っていただいて、生徒たちを10人ほど集めてくれた。若い人たちは音楽の授業で日本の名曲そのものを紹介していないので「早春賦」を知らないのだ。この映画をどのように感じてくれたのだろうか・・・
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北高を辞して、大町市の隣にある池田町で夕方4時から開催される「蓮の花コンサート」に行く。このコンサートは我々の実行委員の一人である牛腰敏夫さんが主宰している。安曇野の田園風景と夕陽が北アルプスの嶺々をシルエットになる風景はすばらしい。そんな夕景の中で、池田町の太鼓連が奏でる勇壮な響きがこだました。
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大町の上映会は忙しいぞ!
8月24日(金曜日)晴れ 暑い
いったい何回「暑いと!」口走ったのであろうか。ブログにも暑いと言う言葉が何回か書いた。この暑い最中,勤務先の「高円寺・東京阿波踊り」が明日と日曜日に開催される。年々,賑わい人出が120万人とか。
いよいよ、明日と明後日に大町での上映会が開催される。明日は,「あずさ3号」で、大町到着が11時、塩原,田辺さんと3人が先ず、13時に大町北高校での上映会、14時は製作者の挨拶がある。16時には隣町の池田町で「蓮の花コンサート」に出席し、19時までには白馬村の我々が泊まるホテルに入る。今回の上映会での演奏をする「大町マンドリンアンサンブル」の方々が同じホテルにて合宿しており、ホテルのお客様にも演奏を披露するそうだ。明日は忙しくなりそうだ。願ってもない事である。
大町上映会、チケット残りわずか!お早くお買い求めを
8月23日(木曜日)朝方雨、午後は晴れ
朝方の雨は,熱しきった大気に天然の打ち水効果である。幾分涼しい一日だった。朝、塩原書店の塩原さんから電話をもらった。昨晩、最後の上映実行委員会が開かれ2回目の前売り状況が判明した。まだ、大口の大町高校PTAからの集計が判明していないが、400枚近くまで売れたそうだ。500枚のチケットのうち50枚が招待だから,450枚で完売になる。事務局の田辺さんは,当日券を50枚作ることになっている。25日の大町北高校の文化祭での上映コーナーは、11時、12時,14時の3回行い、最後の14時は私も出席して挨拶をすることになっている。新聞各社にも取材をしてもらい、26日の朝、新聞記事として載せてもらう。
中華航空は大丈夫か
8月22日(水曜日)晴れ 37℃
いったい何時まで暑いのだろうか。今日は東京でも37℃まで上がった。
新聞の朝刊に中華航空の炎上事故の記事が載っていた。整備不良だったそうだ。那覇空港の駐機場に置かれている事故機のマーク「梅の花」や「CHAINA AIR LINE』の胴体の文字を消したそうだ。イメージが悪いからというらしい。中華航空には不安の声が相次いでいるそうだ。台北経由でインドネシアのバリ島行きの旅行者が多いようだ。このエアーラインをよく利用するという会社員は「事故は衝撃的だが、2日続けて事故はないだろうと思い,他の航空会社に変更しなかった」という。まさに私と同じ考えの人がいる。


那覇で中華航空機炎上!何と私たちが乗るエアーラインだ
8月21日(火曜日)晴れ 相変わらずの酷暑
今朝の新聞に「那覇で中華航空機炎上!」と一面に炎上する飛行機をバックに逃げ惑う人たちの写真が載っていた。中華航空は私たちが8月30日にジャカルタに行くエアーラインだ。
この事故は那覇空港に台北から到着し、スポットに停止した直後に第2エンジンから出火したそうだ。幸いに、乗客は逃げ出して全員無事だった。
会社の社員から「社長!大丈夫ですか」「いやー事故直後だから,チェックがかえってキチンとするはずだよ」「でも、事故があると続くものですよ」と縁起の悪いことを言う。
大町市の高校での上映会 
8月20日(月曜日)晴れ
また、猛暑が復活した。朝から目がくらむような陽射しである。
大町市文化会館での上映会もいよいよ今週26日に迫って来た。大町市には我が母校の大町高校のほかに、かつて、女子校だった大町北高がある。丁度、私たちが上映する25と26日が文化祭になり、重なってしまった。ある新聞社のアイデイアから、「高校生以下は無料なのだから,文化祭で上映会をしたら」ということで、夏休みに入る前学校にに提案し、校長先生も快く了承してくれた。そんなことで、私は25日11時に大町に着く「あずさ3号」で行く事にした。夏休み明け(長野の学校は夏休みが短い)の今日、「二つの故国をつなぐ歌」DVDとカラーちらし100枚を送付。大町北高の生徒たちは、アジア・アフリカ難民問題に感心があり、1985年から22年間も、文化祭等でバザーをやり難民支援運動を続けて来たという。また、放送部のビデオ製作も活発で、毎年全国大会に参加しているそうだ。私は、そんな生きいきとした活動をする生徒たちにこの映画に感心を示してくれるだろうと思い,今回の文化祭への上映することを提案した。
この所 地震が多い
8月18日(土曜日)曇り、19日(日曜日)晴れ
土曜日と日曜日の二日分の日誌である。先日の南米ペール地震は津波の注意報まで発令された。何千キロも離れたペルーから津波が来るとは恐ろしいものだ。この所、やたらと東京も地震で揺れている。何か不気味である。確か,土曜日の朝方だったか。4時頃だった。ものすごく揺れを感じたが、寝ている時だと夢の中のような気がして揺れが大きく感じるものだ。
千葉東方沖地震とヤフーの情報に書いてあった。マグニチュード4,5とか。
大町上映会の入場者数
8月17日(金曜日)曇り時々晴れ
夜,田辺さんから夕方行われた上映実行委員会の会議での結果が報告された。チケットの販売状況が一番気になっていた。500枚発行され(うち50枚が招待券)450枚のうちお金が払われたのが203枚,残りの247枚は未回収だが、本日分からないのがかなりあるそうだ。目標は当日券50枚、前売りが250枚で計300枚、無料の学生が100人として観客は400~500人と皮算用している。嬉しいのは新聞記事を見た松本の人が切符は受け取りに行けないから当日受け取るが良いかとの問い合わせがあったとのこと。

熱帯性マラリヤに罹ったら体温が40度は行く
8月16日(晴れ)
日本で一番暑い日である。日本列島の猛暑は岐阜県の多治見で、埼玉県の熊谷でぞれ気温が40.9度を観測。国内の最高気温の記録を74年ぶりに更新したとTVニュースが報じていた。自分の体温を遥かに超えている。インフルエンザか熱帯性マラリヤにかかるとこんな体温になる。
 今から,何年前だろうか もう30年も前だったか、パプアニューギニア取材からもどって1ケ月もたたない1月の末,ものすごい悪寒とともに高熱が出た。その時の体温が41度だった。
体温計の水銀があっという間に40度の表示を通り越して、いくら布団をかけてもらっても寒いのだ。都立荏原病院の感染病棟に隔離され、病名がマラリヤだった。ニューギニアのセピック川の村に滞在して毎日、夜に昼に関係なく蚊の大群に襲われた。そこで感染した。当時、日本の医師もマラリヤという認識がなく腸チフスと疑われたからだ。今日の気温はその時の事が脳裏に浮かんだ。
62回の終戦記念日
8月15日(水曜日)晴れ
日本列島が何処もかしこも猛暑が続いている。62年前の今日,日本は天皇陛下の勅語によって敗戦を宣言した。テレビからは終戦記念日の特集番組を流している。この日が有ったことを忘れてはいけないとテレビキャスターは訳知り顔に話している。私が思うには,「戦争の事実を忘れてはならない!」と8月だけ声高に語っても今の若者には通じない。
これから迎える12月8日の開戦の日、3月の東京大空襲、広島、長崎原爆投下など昭和史の節々に戦争の愚かさをかたってもらいたい。そして、私が今回製作した「二つの故国をつなぐ歌」はタイトルこそ”早春賦”であるが、観た人には戦争、親子のきずな、命の大切さ、災害・・と後世に語り継がなくてはいけない物事が46分の映画の中に凝縮されている。私はこの映画を製作してなおさら”今日の日の大切さ”を忘れてはならないと思うようになった。62年前も外では蝉がうるさく鳴いていたのであろうか。
バンダアチェまでのチケット
8月13日(月曜日)晴れ
我が社も夏休みに入った。土日を入れた5日間である。私は,大町とアチェの上映会が同時進行しているので休日出勤である。アチェからDirhamさんとインドネシア滞在中の大川氏とメールが入っていた。アチェからは何時もDivaのお父さんDirhamさんが窓口になっている。「すばらしい企画であるとサクラさんも同意してくれた」と言う意味のメールだった。
大川氏のメールは8月31日のジャやカルタからバンダアチェのチケット3人分もコンファームされたそうだ。ジャカルタ発6時15分と早朝の便である。8時15分にはバンダアチェに到着だ。2時間かかる。羽田から鹿児島くらいの距離か。3人で片道2,810,000ルピアである。日本円で一人12,600円ぐらいだ。これには燃料費などの諸費用が込みになっている。
この暑さはやはり異常気象か
8月11日、12日(土曜日、日曜日)晴れ
土、日を利用して孫二人がお泊まりでやって来た。7才と3才半の男の子二人に振り回された2日間だった。プールを持って来て,猫の額ほどの庭に水をはってホースで水かけっこだ。
12日間連続の33℃以上の酷暑続きだ。少々へばっている。月末から行く、赤道直下の町、バンダアチェの方がきっと過ごしやすいのでは・・・
インドネシア語ポスター
8月10日(金曜日)晴れ 
酷暑が続く。夜は先日開催された大町高校の同窓会の裏方スタッフの「お疲れ会』をした。場所は中野。中野北口のブロードウエイへ行く商店街のにぎわいはすごい。裏の路地に入ると全国居酒屋チェーン店すべてにタイ、、韓国、中華と何でもあり新橋の烏森に匹敵する歓楽街だろうか。

 今日我が社の第2制作部に依頼していたインドネシアでの上映会のポスターが出来た。中程の下の空欄はインドネシアのあちこちで上映するために日時、場所をその場所で主催者に入れてもらう。同時上映の「稲むらの火』も文字情報だけ入れた。
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インドネシア アチェでの上映会
8月9日(木曜日)晴れ 暑さが続く
大町に行っている間にジャカルタ行きのチケットがフィックスされた。既にインドネシアに行っているインドネシア文化宮の大川氏とは30日にジャカルタで合流する。我々のチケットはエアーチャイナ(中華航空)は、台北で乗り継いでホンコン経由でジャカルタに夜の8寺40分着である。翌朝、出来るだけ早い便でバンダアチェに入り、上映の準備をする。翌、9月1日、10時にアチェ州政府の教育局(日本の教育委員会)講堂に子どもたちが500人から集まり上映会が開催される。
早春賦ファンタジア
8月8日(水曜日)晴れ
昨日、大町の地元マスコミに対して上映会の「この間のニュース続き」ということで、大町のマンドリングループ「このゆびとまれ」方々11名と折井清純氏との練習の中で折井さんに映画のテーマ音楽「早春賦ファンタジア」を弾いてもらった。グループは未だ練習不足感はいなめない。8月25日は白馬で泊まり込み合宿で翌日にそなえるそうだ。期待している。
インドネシアアチェでは62回目の誕生日”ハッピーバースデイ”を祝ってもらっていることであろう。折井さんにも”遠くアチェまでに聞こえてください"と言う意味を込めて懸命に弾いてもらった。
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Happy Birthday Songは早春賦ファンタジーで
8月7日(火曜日)晴れ
天気予報だと今日で真夏日が7日連続とか。朝から30℃近い暑さである。暑いあついと言っても詮無いことである。
今日と,明日の2日間、大町に行き8月26日の上映会のための最終的な打ち合わせをする。特に,夜19時から映画音楽を担当した折井清純氏が指導する大町のマンドリングループ「このゆびとまれ」の15人編成のマンドリン演奏の練習をマスコミに向けて公開練習する。練習に先立って8/7の今日が誕生日である遠くインドネシアに向けてサクラさんへ”Happy Birthday Song” に「早春賦ファンタジー」を弾いてもらおう。
Divaのお父さんからメール
8月6日(月曜日)晴れ
金曜日にインドネシア・アチェのDivaのお父さんへ宛てて、我々がアチェで上映会を開催するから、8月31日にはジャカルタからアチェに入りたい旨を伝えた。その返事が来ていた。
サクラファミリーの中で彼が一番英語が通じるので、何時も連絡の窓口になってくれる。
メールが返信された時間がAM3時と記されてあり,彼女のお父さんの忙しさが手に取るようだ。義理のお母さんであるサクラさんに話を伝えて,至急に対応についてお知らせするとの事。また、明日はサクラさんの誕生日のお祝いをするそうだ。私は誕生日に間に合うように“Happy Birthday Card"のオルゴール付きのカードを送っている。サクラさんは映画の中でも伝えているが広島へ原爆が落ちた日の翌日、8月7日が誕生日である。62年前のその日、サクラさんにとって数奇な運命が始まった。
「全アチェ州小中学生の絵画コンテスト」の小冊子
8月4日(土曜日)5日(日曜日)の合併版
連日の猛暑である。我が家は比較的に多摩川に近いせいか、夜になると花火大会の音が聞こえる。時には二階の洗濯干場から花火を見る事が出来る。
インドネシア文化宮から「Nyawoung いのち」という小冊子が20冊送って来た。大川氏は3日からインドネシアに出かけている。今日紹介するこの冊子は2004年12月、スマトラ島沖で発生した大地震、巨大津波が起きた翌年1月に「スマトラ島大地震、巨大津波被害追悼緊急写真展」をインドネシア文化宮とアチェの地元最有力新聞「Seranbi Indonesia」の共催で開催した。インドネシア文化宮の会場に多くの人たちが駆けつけ、参加者は”アチェ復興のために何かをしなくては?”という討論がなされた。その結果、「Seranbi Indonesia」新聞と協同で進める日本側窓口にインドネシア文化宮の中にJapan Aceh Netを誕生させ、募金活動が始まった。日本国内20カ所以上で「アチェ報道写真展」と「アチェ津波絵画展」を開催した。そして、多くの義援金が集まった。以後、JANは、「スマトラ島大地震、巨大津波の全記録」や「アチェ詩集全集」の出版に資金援助を行った。さらに、「全アチェ州小中学生の絵画コンテスト」の受賞作品と新たに高校生作文コンテストの優勝者・ファニア・アデイステイさんの書き下ろした実話を基に絵本を出版した。下記の写真がNyawoung いのち」という小冊子である。
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なお、この絵本を来る8月26日の上映会で販売し、売り上げ金はJANと「Seranbi Indonesia」に送る予定である。

公開セミナーに参加して
8月3日(金曜日)曇り
金曜日とあって都内の主要路線は渋滞である。赤坂で開催される公開セミナー参加のために新宿から甲州街道に抜ける交差点が猛烈な渋滞だ。右折、左折ラインがにっちもさっちもいかない。悪いとは思っていながら走行ラインを無理くりに左折したら横にパトカー、即御用! 罰金6000円、マイナス1減点 急げば廻れの教訓だった。
18時から赤坂の国際交流基金で一昨日会ったアチェの芸術家3人のセミナーに参加した。「アチェ 津波と紛争からの復興~文化と芸術が果たす役割~」というセミナーである。会場に30分遅れで到着。既に活動報告の映写会をやっていた。アチェを知りたい?という人たちが結構いるのに驚いた。
活動報告のビデオ上映
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アチェから来日した3人の芸術家たち
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アチェでの上映が決まる
8月2日(木曜日)曇り時々晴れ
朝に書いたブログに引き続きの原稿だ。今日は暑い、とにかく蒸し暑い。台風5号が宮崎の日向灘に上陸した。台風が運んで来た湿った暑い空気の所為らしい。
 今日もインドネシア文化宮に行く。昨日に引き続きである。大川氏は明日からインドネシアに行くのため、今日中にやり残した大川さん関係の用事を済まさないといけない。アニメ映画「稲むらの火」のインドネシア語のセリフをアニメ声優がしゃべる箇所に入れたものをチェックする。昨日、セランビインドネシアの編集長からアチェでの上映について大川氏にメールが入った。それによると「9月1日にバンダアチェの子どもたちにこの映画を見せる事が決まったから、31日にはアチェに来てくれ」との事。さー大変だ。やることが本当に山積している。私たちがアチェへ出発前に大町での上映があるから余計に気ばかりあせる。
阿久悠さん逝く
8月2日(木曜日)朝、雨がかなり強い
今朝のTVニュースであの超マルチな作詞家であり小説家、随筆家の阿久悠さんが亡くなられたと報じていた。”かつての会社仲間”などとえらそうに書いてしまったが。私が大学を出て、宣弘社という広告代理店CM課撮影係に入社したのが昭和39年である。阿久悠さん、本名は深田公之さんは中堅のコピーライターとして活躍していた。深田さんが退社したのが昭和40年とか。だからほんの1年足らずのすれ違いのような新入社員時代の出来事ぐらいかもしれない。私は入社したての撮影アシスタントで銀座本社に現像の上がったフイルムや画コンテを受け取りに深田さんの部署に使い走りでよく行かされた。深田さんが「阿久悠」の名前でデビューした時、何処かで見た事がある、しかし、どうしてもあの深田さん=「阿久悠」が一致しなかった。いまや、懐かしい思い出であり、今はなき広告代理店・宣弘社に在籍したことが今の私の原点であり自慢の一つである。「阿久悠」さん、もとえ深田公之さんのご冥福をお祈りいたします。

アチェのNGO関係者と会う
8月1日(水曜日)晴れ
今日の晴れの天気から気象庁は関東地方も梅雨明けを宣言したようだ。朝から大忙しの一日だった。11時にヨコシネDIAで先日のフイルムでの2回目の試写をする。そのフイルムを持って京橋の国立近代美術館フイルムセンターへ。7日、ここで文化庁の記録映画賞の審査試写が予定されているため直接納品した。
 15時、バンダアチェから来日しているアチェの芸術家とNGO関係者に会う。彼らは国際交流基金から招聘され、3日、4日の二日間、国際交流基金で「アチェ津波と紛争からの復興~文化と芸術が果たす役割~」という公開セミナーを開催するために来日し、インドネシア文化宮に表敬訪問にした。我々の映画「DIVA早春賦をうたう」を視聴してくれた。
我々が今回アチェで上映する映画会に協力を依頼した。
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