訪問者数
プロフィール

吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画の上映日程
4月に予定されている日程は次のようになります。

(1) 吉丸一昌顕彰コンサートと映画上映会
 日時:4月8日(日曜日)13時開場、14時開演。
 場所:龍光禅寺 文京区本駒込1-5-22(東京メトロ南北線・本駒込、都営三田線白山下)
 料金:2000円(映画とコンサート2本立ての料金で、銘菓早春賦饅頭も付いています)
龍光禅寺は吉丸一昌が埋葬されている菩提寺です。昨年にひき続き開催され「吉丸一昌顕彰コンサート」の催しの一環として第一部に上映されます。第二部のコンサートも併せてご鑑賞ください。
(2)
 日時:4月20日(金曜日)18時30分開場、19時上映、2回目、20時30分
 場所:なかのZERO 視聴覚ホール(JR中野駅から徒歩7分)
 料金:1000円
(3)
 日時:4月22日(日曜日)18時30分開場、19時上映、2回目、20時30分
 場所:なかのZERO 視聴覚ホール(JR中野駅から徒歩7分)
 料金:1000円
両日共に一般公開ですが、プレス試写も兼ねております。
(4)安曇野特別試写会とミニコンサート
 日時:4月29日(日曜日/祝日)17時開場
 場所:あづみ野コンサートホール(長野県安曇野市穂高)
 料金:多分無料です。
この日の午前中は早春賦歌碑広場にて安曇野恒例の「早春賦祭り」が催されます。ホールは歌碑のすぐ近くになります。
今後は、大分県臼杵市、インドネシア/アチェなどでも順次上映会を予定しております。
 
スポンサーサイト
果物の王様 ドリアンを食らう
12月26日 続き暑い一日であった。夜、Divaのお父さんがドリアンを買ってきてくれた。ドリアンは今が旬のようだ。町中の露天市で刺が生えたサッカーボールが山と積まれている。近くを通るだけで強烈なにおいがする。でも部屋に持ち込んだドリアンはそれほどあの悪臭がない。 DSC_6440.jpg
パクッと栗のいがのように割れ、中身はいくつもの部屋に分かれている。食べる部分が白い皮膜に覆われている。 DSC_6442.jpg
その実を手づかみで食べる。どろどろとして白い。口の中にクリーム状の甘いとろけるチーズの味がひろがる。ボールを1個も食べると何か頭がボーとする。アルコール分があるとか。酒が苦手な私は酔った気分になった。また、明日も食べるかと聞かれれば結構ですと言うだろう。これが果物の王様か。東京の千疋やあたりだと1個、1万円はするだろうか。 DSC_6441.jpg

12月26日、悲しみの津波2周年
12月26日(火曜日)晴れ、今日も暑い
2年前の2004年12月26日、朝、すごい大きな揺れと30数分後に来た巨大な津波、ニュースはアチェが地上から完全に消えてしまったと伝えた。
 そして、2006年12月26日、2年経ったアチェは、建築ラッシュである。
サクラファミリーも2年目の法要?が行われた。家にファミリーが集まりお祈りとコーランの唱和で始まった。
DSC_6604.JPG

その後、サクラファミリーの墓地に行き,津波でなくなったDivaの5才の妹Diraの冥福を祈った。Diraは津波から数ヶ月後に遺体で発見されたが、彼女であることの確証がない。DNA鑑定する術がないのだ。
DSC_6651.JPG

サクラファミリーの墓地の近くに、未だに身元不明の人々を葬る共同墓地がある。もしかしたら、
共同墓地に埋葬された中に、5才のDiraがいるかもしれない・・・サクラファミリーは共同墓地でもお祈りをした。2年経っても津波の悲しみはなくならない。
DSC_6669.JPG


アチェコーヒーは美味い
12月25日 晴れ今日もよい天気だ。
イスラム圏でも、クリスマスはお休みである。このカンカンと照りつける太陽の下ではクリスマス
気分にならない。
Bech(ベチャ)というサイドカー式のタクシーで町の主観移動を撮影する。仕事前にコーヒーショップでアチェコーヒーを飲む。MEX君のおじいさんが経営している町で一番うまいコーヒーショップはいつも満員だ。
DSC_7350.JPG                             

DSC_7351.jpg


コーヒーというより黒い液体と言った方が分かりやすい。コーヒーがくる前に甘いお菓子を一皿持ってくるが、食べた分だけ精算するシステムだ。黙っていると猛烈に甘いコーヒーが来る。
 だから、コペ タンパ グラ(砂糖なしでください)と先に言った方が良い。苦さが何ともいえずうまいが、カフェインもかなりのものだろう。このコーヒーはクセになるかもしれない。

一杯飲んだだけで汗が吹き出てくる。お店にはクーラーなんかないのだから。
アチェは美人でいっぱい
私のブログを欠かさず視て頂いているM氏から、「吉丸さん!まじめな話ばかりでなく食い物だとか、美人の話とかないの?」と言われた。リクエストにお応えします。

アチェに行って先ずは気になったのが美人の多い事です。このアチェは16世紀ごろから王国として栄えて、特に港町だったバンダアチェはマラッカ海峡に接しておりマレー、ジャワ、インド、中国からの人々が往来していた。アチェ人は混血なのですね。色とりどりのベールを着けた女性、恥ずかしそうにうつむく仕草、ハッとするほど美しい女性とすれ違う時はドキとしました。男は年を重ねても美人が好きなのです!!
DSC_7339.jpg

DSC_7344.jpg

我々の映画の主人公 Divaも美少女コンテストの上位に入るのではないでしょうか。
DSC_6364.jpg

通訳のMEX君の親戚の結婚式に参列したときの花嫁さんも奇麗な人だった。
DSC_7283.jpg

みなさん、どう思いますか。私、見とれていてもっと、美人を撮れば良かったと後悔してます
DSC_7292.jpg


お助けマン、芸術文化振興基金
サクラさんの一言が”私の胸をうった”は良いが 果たして映画化ともなれば話は別である。
映画というタイトルが付くと本当に金がかかる。一般の方からお金を戴いて鑑賞に耐えられる作品を作らなくてはならない。中途半端な製作資金では出来上がりもしれている。
 
なにはともあれ、撮影がスタートしてしまった。演出の小原君からの助成金交付を申請しましょうという提案があり、7月末が締め切りだという。そして、平成18年度 芸術文化振興基金へぎりぎりに提出した。製作費の1/3を助成していただけるというすばらしい制度である。
演出費もカメラマン費も助成金がもらえるまでは『ただね!』と。何というおおざっぱなことか。もらえるものとスタッフ皆が信じているのだ。年間2回の応募があり、いつも難関だという事は聞き知っている。

8月、9月、10月の初め・・「何も連絡がないから、もう駄目だね』という半分あきらめていた。
10月6日 私は地方のクライアントに打ち合わせに行く途中だった。朝、11時忘れもしない電話だ。会社から「良い知らせよ、芸術文化振興基金から内定の書き留めがきたよ」私は車の運転中だったが、横で居眠りをしている左部君を起こした。「エー!ほんとですか」一度に目が覚めたようだ。この嬉しさはどれほで製作意欲をかき立てたろうか。気持ちを共有する小原、山田、シナリオを書いた長尾君たちは歓喜の雄叫びをあげたのはもちろんだ。


この映画を製作する動機
12月24日(日曜日)晴れ 暑い
この映画をどうして制作する気持ちになったかを書かなくてはいけない。その大きな要因は
スマトラ沖巨大津波だ。「はじめ」の項目にも書いているようにサクラさんと私はイトコ同士である。あの日、TVニュースでバンダアチェという地名が出た時、真っ先にサクラさんの事が気になった。ニュースのほとんどがタイやスリランカのことばかりだった。

私は、正月明けにあらゆる手段でサクラさんたちの消息を調べた。しかし、ほとんど情報が入らない。1月末だったろうか。彼女の娘ムコからの国際電話だった。サクラさんは元気だと言う。それから、私は何とか彼女たちに会いたい、会ってみたい・・・そして、4月1日、スマトラのメダンでサクラさんたちと会う段取りが着いた。
会うなり、サクラさんは言った「インドネシアのこと忘れていなかったのね」という一言が私の胸をうった。
写真は2004年4月3日 バンダアチェのホテルCAKRADONYAにて/サクラさんたちと
20070123155223.jpg


撮影取材の日誌 12/23
12月23日(土曜日)曇り時々晴れ
朝、8時半にサクラさんが我々が泊まっているホテルに来て皆と朝食をとる。このホテル
CAKRADONYAはサクラさんと亡くなったご主人の二人で苦労しながら建てたもので、いわばサクラさんファミリーのシンボル的な存在なのだ。
写真はHOTEL CAKRADONYA
DSC_7214.jpg


サクラさんは、午前の飛行機でジャカルタへ行く。長女のDwiana夫婦でメッカ巡礼に行く。
サクラファミリーの長であるサクラさんが、巡礼に行く長女夫婦のお手伝いをするためだそうだ。我々も空港まで送る。

空港近くに、旧日本の海軍渋谷部隊が建立した碑があると聞いていた。この碑は2年前、海上自衛隊がスマトラ沖地震で災害救助の際に発見され、インドネシア国軍と共同で清掃した。
DSC_6345.jpg

アチェ空港のすぐ近い所にあった。その碑を撮影する。旧日本軍がアチェに遺した数少ない
戦争の爪痕である。忠魂碑と現地労働者への慰霊碑と日本語で書かれていた。

碑の近くに住んでいる人が親切に説明してくれ、さらに、滑走路の脇に防空後があるという。案内してくれた。鉄条網をたくみに潜り、一基の防空壕をのぞいて見たが真っ暗で何もない。
DSC_6348.jpg


サクラさんファミリーの紹介
サクラさんのご主人は2年前(津波の来る2ヶ月前)に病気で亡くなっている。

お二人の間には二男、二女の子供がおり、長男Donyはジャカルタで事業を営み、長女Dwianの夫は空軍のパイロット、,次男Devyはバンダアチェでホテルの経営、次女Dianの夫は地元大学の教師とそれぞれが既に独立をし、それなりの地位を確立している。インドネシアにおいてはエリートファミリーである。

今回の映画の主人公はもちろんサクラさんであるが、次女Dianの二番目の娘・Divaが映画のタイトルのように重要な役割を担っている。

付け加えておく大事なことがある。インドネシア人のほとんどが敬虔なイスラム教徒であるように、サクラファミリーも熱心なイスラム教徒である。この後、取材が進むにつれて、イスラム教の神髄をまざまざと見せられることになる。

Diva 11 才の誕生日
サクラさんが、一番可愛がっている次女Dianの二番目の娘・Divaは我々がバンダアチェに到着した日が偶然にも11才の誕生日でした。
第一部Divaの誕生日会、第二部が我々のためのWell come partyというように予定を組んでいたとか。しかし、飛行機が遅れたために誕生会とWell come partyが一つになってしまった。

空港から市内を走るにつれて、あの大津波によって破壊つくされ、空爆の後のような景色が、1年半の間に復興が順調進んでいた。住宅が建設され、地震で崩れたビルが新しく立て替えられていた。
サクラさんの家に到着して私は感嘆の声をあげてしまった。津波後に見た破壊つくされた家は立派に復興していたからだ。家の廻りには新築の住宅がびっしりと建てられていた。

20070119221309.jpg

20070119221245.jpg

20070119221334.jpg


居間には始めての親戚の人たちが出迎えてくれていた。イスラム独特のスカーフを付けた女性たちにまじって、可愛らしいDivaのクラスメート。彼女たちは皆、「早春賦を歌えるようになっていますよ」とのこと。シンセサイザーでアレンジした早春賦のメロデイーが流れていた。我々が思わず「ヒエー、弱ったな!、早くも段取りが出きっちゃってるじゃん」と。小原デイレクターは、あまりにも出来すぎているDiva誕生日シーンに頭を抱えてしまった。

DSC_6319.jpg

DSC_6327.jpg

DSC_6332.jpg

DSC_6334.jpg


撮影取材の日誌 12/22
12月22日(金曜日) クワラルンプール、メダンからアチェへ。
 今日から、インドネシア取材日誌をせっせと書きます。撮影のスタッフを紹介します。先ずは、演出の小原君、カメラマンの山田君、通訳兼コーデイネーターのMex君。そして、関空からメダンで合流したMex君の奥さん美佐子さん。Mex君は日本では数少ないアチェ出身のインドネシアの方である。今回の撮影の要となる人物である。小原、山田君は始めてのインドネシア入国である。私は、津波後の2005年4月、イトコのサクラさんを元気付けるためにアチェに来ている。
 スマトラ島メダン行きの飛行機は8時55分発。2時間前にはチェックイン、時差が1時間有るので出発と同じ時間にメダンに着く。入国税は一人あたり35$。
バケージゲートを出たと同時にわーと荷物を運ぶポーターに取り囲まれる。ドメステイック
の出発ゲートまで荷物を運んでくれる。もちろん、有料だ。
12時25分発・・どうも遅れているようだ。何もアナウンスがない・・・Mexから2時間送れという情報。早くも、インドネシアタイムの洗礼を受ける。皆、イライラしている風でもない。外は時折、スコールだろうか、雨が降り始めている。
続きは、明日へ。
南の国・インドネシアで早春賦がうたわれる
このほど文化庁が選出する日本の歌100選に「早春賦」が選出された。
この早春賦をテーマにしたドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」のインドネシア・スマトラ島ロケーションがこのほど終了した。

この映画の製作過程をブログで公開して行きます。多くの皆様の意見を映画製作に取りいれていこうと考えております。奮ってご参加をお願いします。

最も日本的な歌である「早春賦」がどうしてインドネシアと関係あるのだろうか・・多くの方が何故!と疑問に思うでしょう。
「早春賦」の作詞者・吉丸一昌の孫であり、映像製作者・吉丸昌昭は、「早春賦」を励みに波瀾万丈の人生を生き抜いたインドネシア人女性 サクラ・ナルカヤさんの姿を追ったヒューマンドキュメンタリー映画を製作中である。

映画の概略

主人公のサクラはインドネシア・スマトラ島北部のバンダアチェに日本人とインドネシア人の母親の間に終戦直前の昭和20年8月7日に生まれた。
父、池尻昌言(旧姓吉丸)は「早春賦」の作詞者である吉丸一昌の次男である。
今日も孫娘のDiva(デイファ)たちが遊びにきて一緒に日本の歌「早春賦」を練習している。1月元旦に「早春賦」のモニュメントが設置される。その時のために皆と一緒に早春賦をうたう。この歌をうたうとサクラとDivaもなんとなく元気になる。そんな時にサクラは、自分の生い立ちを、日本のことなどを孫娘たちによく話す・・・

終戦直後、日本に帰った父を探し続けた半生。その後、日本の親戚の人たちと
の交流と、唱歌「早春賦」との出会い。そして、一家を襲ったスアトラ沖大津波・・・波瀾万丈を生きてきた。

映画は、2005年4月、津波後の惨状、2006年サクラファミリーの日本訪問、同年12月津波2周年とスマトラ島、アチェでの現在の生活を追いかけながら、戦争に翻弄された苦しみや津波災害で家族を失った悲しみを救ったものは何か、心の支えになったのは何かを、サクラの孫娘Divaの目を通して訴求するヒューマンドキュメントである。

困難にぶつかってもけして「生きる勇気」を失わないサクラ、孫娘Divaの姿を多くの人に見てもらいたい作品です。

早春賦01

早春賦02

早春賦03

早春賦04

早春賦05


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。