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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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アチェ生まれの早稲田大学女子大生
一昨日の夕方、五日市街道(新高円寺)から不気味な夕景色を見た。手前が真っ黒な雲と五日市方面は晴れている。
手前は渋滞する車・・・・その奥に雪をかぶる富士山が見える。このところ余震が続くためか何事も「不気味」
という言葉が代名詞になる。

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私の友人が主宰する「インドネシア文化宮」大川誠一氏の(インドネシアのTV局メトロの東京支局)ブログに
感動的なニュースが載っていた。以下はインドネシア文化宮のブログ「私は日本で死にたくない」から
”早稲田大学で学ぶ、アチェ生まれのミキアル・マウリタさん。彼女はインドネシア文化宮が実施したアチェ語
講座やアチェ舞踊口座で講師を務めた。スマトラ沖地震と津波で親兄弟姉妹9人の命を奪われた。
そして、先週の金曜日(3月11日)東京で体験した東日本大震災。2011年3月14日、彼女はアチェの地元紙
「The Atjeh Post」に「私は日本で死にたくない」と題する一文を寄せた。

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本文はインドネシア語なので残念ながらなぜ「日本で死にたくない」かの意味を想像してもらいたい。
彼女の家族12名のうち、両親、兄弟、姉妹の9人の命を一瞬にして失う。当時、実家を離れ、イスラム寄宿
学校の生徒だったため災難を免れたミキアルさんは、同じく、別の場所にいて助かった姉と兄が一人ずついる。
2009年から「あしなが育英会」の援助を受けて早稲田大学国際教養学部で学んでいる。”

日の丸の手前で祈る人のシルエット。Pray for Japanのデザインがすばらしい。今の日本を良く考えたデザインである。
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スマトラ地震&大津波との違いは・・・
東日本大震災が起きて5日目。地震は相変わらず余震なのか分からないが、昨晩も静岡で震度6と推定される
激しい揺れがあった。
今朝は、通勤のバスも電車も何とか正常になりつつ有ると感じた。しかし、写真のように営業を休んだり、
時間を短縮したりして節電に協力している。
がらんとした高円寺商店街
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電気屋さんには電池売り切れが~
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2004年のスマトラ沖地震との大きな違いは原子力発電所の事故がなかった事だ。インドネシアに原発が
なかったからであるが、「便利」をお金で買って来た我々日本のある種責任かもしれない。
67年前、昭和19年の巨大地震
「昭和東南海地震」という戦時中に起きた巨大地震があった事を知っているだろうか。多くの人たちは「え!」と言うだろう。当時の日本の軍部の情報統制により情報が改竄され、また多くの1次的記録も消滅・散逸していることなどから、被害の全体像が把握しにくい地震である。
 
下記は67年前の写真である。(当時の毎日新聞より)
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1944年(昭和19年)12月7日に午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約20km(北緯33度8分、東経136度6分)を中心とする震源で発生した巨大地震。「昭和東南海地震」と呼ばれている。
マグニチュードは7.9と推定されている。死者・行方不明者数は1223名を数えたとされる。
 愛知県下には多数の航空機、兵器、電気機器製造工場等の軍需工場が多く、軍部が報道管制を敷いた。「被害僅少」の報道しかなされず、一般市民への救援は皆無だった。
 各地で津波が観測された。熊野灘沿岸では6メートルを記録したと言われている。
計画停電って何?
朝から、電池や食料(パン)を仕入れようと思いコンビニに出かけてみたがガラ空きになった棚ばかりが目立つた。
ガソリンスタンドのガソリンはどこも「売り切れ」ばかりだった。

皮肉にも、「震災時給油スタンド」という表示が空しい。(三鷹市のガソリンスタンド)
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スーパーは閉まっていた。11日の夕方。
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お弁当がどれも300円だった。  東京は直接被害を受けたわけではないのに・・・・・
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そして、私はバスを乗り継いで会社に行く事ができた。通常は1時間弱の通勤時間が今日は2時間半かかった。
昨晩突然発表された「輪番停電」・「計画停電」いずれも、あまり聞いた事がない言葉である。東京電力管内を5カ所のグループに分けて、2~3時間の停電をするという。しかし、・・・・結局、我々の第2グループは停電はなかった。

100年に一度の巨大地震と巨大津波
昨日の東京でもこれまで誰もが経験したことのない大きい長い揺れ。マグニチュード8,8 
東日本地震の昨晩のテレビニュースを見るにつけ濁流にのまれる家屋、激しく噴き上げる紅蓮の炎、
黒煙が立ちこめる、まさに地獄絵図のような光景だ。
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 2004年12月に起きたスマトラ沖地震津波の大災害を日本の国民も,メデイアも忘れていたの
ではないのだろうか。嫌な事は忘れようとする日本国民。あの6年前のスマトラ島バンダアチェ沖
を震源とする地震津波の被災は、多くの日本人は他所の国の出来事という気持ちだった。今回の
「東北地方太平洋沖地震と巨大津波」は、スマトラ沖のそれと匹敵するという。
 
 下記の写真二枚は2005年の3月にスマトラ島バンダアチェでの取材時に撮影した。
津波3ヶ月ご5

津波3ヶ月ご2

私の会社は青梅街道と五日市街道に接する地下鉄丸ノ内線「新高円寺」に近い。幹線道路の脇の道を
黒蟻のように自宅に向かって黙々と歩く人たち。電車、地下鉄全線、JRも全線がストップ。車道は渋滞、
スーパーは閉店そして現代人の必携グッヅ「携帯電話不通」。
写真は青梅街道と五日市街道が交差する歩道を歩く人々。(17時44分)

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此の写真の前、地震直後に我が家が倒壊しているのではと思い車で行った、私の部屋が落下した
ビデオや書籍で散乱していた。幸い大事なパソコンが落下しないでいた。
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