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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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シベリヤに抑留された少年兵の猪熊さん/その2
猪熊さんの家には6匹のネコちゃんたちが住んでいる。取材に伺った時、わたしの足には戯れ付くは、取材のかメラの前を横切る、同時録音するバックに喧嘩する声が聞こえる。私たちは一切気にしないでカメラを廻した。
ねこと猪熊さん
そんな姿も猪熊さんの心優しい一面であると考えたからだ。
猪熊さんの始めての戦場体験が茨城の日立飛行部隊で米軍からの機銃掃射ということは前回のブログに書いた。その飛行部隊では多くの同期の仲間が亡くなった。生き残った猪熊さんたちは、死んだ16才から19才の仲間たちのバラバラになった胴体、手足、脳みそが飛び出した頭を元の体にそろえる作業をした。悲しくて涙も出なかった。16才の青春の忘れられない思い出だったという。
間もなくして20年4月、部隊は台湾、沖縄へと移動した。沖縄へ移動した部隊は全員が亡くなった。猪熊さんは台湾へ移動したために生き延びる事になる。そして、中国の関東軍に転属して満州の長春で国境警備につく。
20年8月9日 、ソ連軍が進侵攻。20年8月11日、白頭山(今の北朝鮮)に部隊が集結することになり、16才で水さかずきをした時は自分の運命もこれまでと観念したという。8月15日の終戦も知らずに、8月17日も銃声が轟いた。9月初め、武装解除され武器を持たない猪熊さんたちはソ連軍の捕虜になった。貨物列車に荷物のように乗せられ、シベリヤのフラゴンチェスという森林の村で木材の伐採という過激な労働を強いられた。それからシベリヤの大地を点々と移動し、体力のない者は栄養失調で次々と亡くなった。(上の列 左が猪熊さん)
シベリヤ抑留時代JPG
22年11月末、ナホトカから舞鶴へ。日本の景色の美しさに帰国出来た、生き延びたという実感を持った。
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