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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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シベリヤに抑留された少年兵の猪熊さん
猪熊さんの自宅を訪ね、少年兵として志願した頃、そして、シベリヤ抑留時代の話をインタビューした。
猪熊さん

猪熊さんは4人の男兄弟がいた。上の3人はそれぞれが予科練に行ったりと日本軍の兵士になっていた。当時自分だけが・・という気持ちで16才で特別幹部候補生制度(別名/特幹)に志願した。昭和19年4月であった。ぎっしりと並ぶシベリヤ抑留や回天の資料の中に人間魚雷回天で戦死した大好きだった兄の房蔵さんの写真が飾られていた。
本と写真
猪熊さんが志願した昭和19年、既に戦局は悪化の兆しが出ていた。1年半という短い軍人教育で戦場に出て行かなくてはならなかった。   15才の猪熊少年は通信兵を選んだ。この選択が後に死と生の運を分ける事になるのである。1900人の特別幹部候補生のうち1200名が戦死したという。
 昭和20年2月、特幹を卒業し、始めての戦場は日立中市の日立航空隊の通信隊に所属。鹿島沖から米軍の艦載機による攻撃を受けた。始めての戦場体験は艦載機の機銃掃射から身を守る事だった。「真正面から低空で飛んでくるグラマンの機銃掃射には死を覚悟した。米軍の撃つ機関銃の薬莢がカランカランと地面に落ちる音が今でも忘れられない。「16才の少年兵はグラマンの機銃掃射から逃げることだったと」と猪熊さんは語る。

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