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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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凄惨な攻防戦! 硫黄島
2006年に名匠クリント・イーストウット監督が手がけた硫黄島の戦闘を描いた二部作「硫黄島からの手紙」は渡辺謙が出演して昨年話題になった。その戦闘に関わって生きて捕虜になった三田春次さんが書いた著作を読んでいる。「凄惨な攻防戦! 硫黄島 死から生への回帰道」は50ページほどのエッセイ風の回顧録である。
硫黄島
先日、日比谷公会堂でも演壇ににたった一人である。この本の帯に ”元兵士が沈黙を破り、亡き父にも兄弟にも語れなかった真実をいま明かすー” 戦友の遺体すら顧みず必死で生き抜き、ただ死ぬために戦った日々、捕虜となり、ハワイやペンシルバにヤで過ごした捕虜収容所生活。生死の狭間で見た「戦争」という悲劇、その現実がここにある。” 
「戦場体験放映保存の会」には、ビデオで証言を述べる人の中にはこのように活字で自らの戦争体験を記録している方も結構いらっしゃる。


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映画製作の意義
”無名の元兵士たち”がブログをご覧いただいている皆様の周りにおられませんか。若い人は「あ!もしかしたらお祖父ちゃんは戦争に行っていたのかも知れない。」  80才以上のお祖父さんやお父さん、彼らは戦場体験者は黙して語らない方が多い。なぜなら子供や孫が聴いてくれない、それだけではなく、その体験した事実を何らかの事情で誰にも話したくないという方もいる。「またお祖父ちゃんが戦争に行ったことの自慢話をしている、もう何十回も同じこと聴いたよ。」 彼らは戦場体験者は、「どうせ話してもしょうがないよ」と言う。
 私の知人のお父さんは85才をとおに過ぎた方である。フイリッピンで戦場を体験し、腰には銃弾の破片があると言っていた。その知人は「おやじは何かと言えば戦争へ行った自慢話をするんだから、嫌になってしまうよ」 と。
私たちが提出した文化庁への企画書の中に採択された重要なポイントになっている文章がある。 「戦後六十年を機に、あの大戦を「録画・手記」で後世に遺すボランテイア運動をする若者たちとその運動に感銘し、黙して語らなかったが口を開きだした元兵士たちがいる。老若一体の保存運動は3年間で元兵士たちの証言者が約1万人近くに達した。この会が「戦場体験放映保存の会」である。平成生まれの大学生から50代の人たちはほとんどが戦争を知らない世代だ。私たちの前作「二つの故国をつなぐ歌」を製作する中でインドネシアに従軍した元兵士たちと交流を深めることができた。価値観を共有する我々と「戦場体験放映保存の会」が協力し合い、1万人以上の証言を収録しします。もう間もなく戦場をナマで語れる人たちがいなくなっていきます。時間との戦いです。

ドキュメンタリー映画「語らずに死ねるか!無名へ兵士の声」が文化庁の補助金内定す
今日のブログも先日の日比谷公会堂での戦場体験者の証言を取り上げる予定でいたが、予定を変更して下記の”Bigニュース”をご覧いただきたい。
logo.gif
今朝、我が社の郵便ポストに「文化庁」の大型の封筒が投函された。待ちにまった第二作のドキュメンタリー映画「語らずに死ねるか!無名へ元兵士の声」が文化庁の補助金内定の通知が来た。日本政府の文化の頂点である「文化庁」から我々が製作する作品に内定とはいえ、補助金が認められたということである。こんな嬉しいことはない。私と演出の長尾が「やったね!とパシンンと握手した。
この作品については既にブログにも書き込んできた。作品の企画意図は次のようなものである。”長く平和を淳受してきた日本。しかし、その平和のあり方について今、国内では様々な議論がなされている。10年後、20年後の日本はどうなるか・・・一つだけはっきり言える事があります。それは「その頃には、戦争を実体験した世代がいなくなる」ということです。そのことを一番実感し、危機感を抱いているのが戦争を体験した元兵士たちです。今こそ自らの戦争体験を残したい、同じことを繰り返さないためにも、自分の体験を子供や孫にたちに語り継ぐことが最後の使命だと考えている元兵士の方々がいます。戦争を知らない世代が圧倒的多数となり、社会が大きく変貌しようとしている今こそ、私たちは(戦争を知らない世代)積極的に彼ら元兵士たちの声を聞き、私たちの財産として後世まで残していかなければならない。それは、単に戦争の悲惨さな実相を伝えるということにとどまらず、戦争を知らない世代である私たちの未来を考えることでもあり、さらに生命の尊さ、生きることの意義を問い直すことにつながると考えます。”  この長くて、こ難しい企画意図を審査委員の方が読んでいただいた事に感謝の気持ちでいっぱいです。
「あの戦場を語り継ぐ集い」の戦場体験者の声から(2)
山宮さん
山宮八洲男さん(88才)はあのミッドウエー・ガダルカナル攻防戦に参加した元海軍兵士である。昭和13年に横須賀海兵団を出て、支那事変真っ盛りの時に上海の第三艦隊の機雷除去隊の兵士に、そして、昭和17年、有名なミッドウエー海戦に山本連合艦隊の指揮下に入ったが作戦失敗し一時内地帰還。すぐに、ガダルカナルに飛行場建設するため上陸したが、建設機械もなく、ツルハシ、シャベル,斧などで1ヶ月で800mの飛行場を作った。しかし、飛行機は一機も来なく、逆にアメリカ軍が逆上陸される。その後、日本軍も飛行場の奪還を目指したが、物量の優れるアメリカ軍との消耗戦となり、補給が続かない日本軍はガダルカナルを放棄。結果的には日本の陸軍と海軍を併せると25000人が戦死した。この戦いで南太平洋のに於ける日本の勢力は激減した。

「あの戦場体験を語り継ぐ集い」の戦場体験者の声から(1)
日比谷公会堂での22名の戦場体験者の声を短く文章でブログで掲載してみます。この集いを主催したのは、「戦場体験放映保存の会」が中心的な主催者であるが「元兵士の会」と「孫の会」がある。
会場の日比谷公会堂
公会堂-2
公会堂の中、 壇上で語る元兵士の会の人たち
会場中ロング
会場でその証言をあらかじめまとめて冊子にしてあり、壇上に上がられた、それぞれ22名の方のお話を聴く上で役に立つ一冊であった。22名と書いたが、実は原稿まで書き、壇上に上がらないうちに亡くなったYさんの証言をビデオレターのようにして会場のスクリーンで流された。
  このはサイパン 全員玉砕の地から私だけなぜ還ったと語っている。Yさんは戦後ずーと自分だけが生き残ったことに懺悔した。サイパンは米軍の上陸を受け、一般の住民も巻き込んだ悲惨な戦闘になった。戦闘10日目、日本軍はサイパン島を放棄して在住法人も含めた6万人を見捨てた。しかし、この中で一人生き残った事を誰が責められようか。この話を聞くに付け戦争の惨さを感じた。
この私のブログでは次の回にも私の印象に深く残った証言者の言葉を綴りたい。


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