訪問者数
プロフィール

吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表者兼プロデユーサーである。
祖父 吉丸一昌が書いた「早春賦」を顕彰している。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

友達申請フォーム

この人と友達になる

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ

早春賦をテーマにしたドキュメンタリー映画、各地で好評上映中!
私たちは「二つの故国をつなぐ歌〜Diva早春賦をうたう〜」を現在各地で上映しております。このブログでは、映画の製作状況、撮影中のこぼれ話、また上映時の反響などをご紹介していきます (2007年3月映画完成)
瞼の父に会いたい
サクラの姉、末浪真紀子がお父さんから聞いた話では、お父さんはバンダアチェの母エマさんの実家で世話になっていたそうだ。オランダ軍からも追われており、そこへ、エマさんの父が「引き上げ最後の船が出るそうだ。この船に乗り遅れてはもう日本にもどれない」と言い、エマさんの父はハシケを出して池尻を引き揚げ船に乗せたとのこと。帰国してかもB級戦犯の身であったので隠れるようにして京都にいた。当時の日本人は誰もが貧しくて食うや食わずの生活をしていた。インドネシアに戻る事も叶わなかった。そして、昭和26年、戦犯が解除になった。一方、物心がついてきた6才になるサクラさんは、どうして私にはお父さんがいないのかと言って母のエマさんを困らせたそうだ。6才と言えば小学校に上がる頃であろう。母のエマさんは間もなくして再婚。その義理の父親が良い人で、幼いサクラと一緒に父親探しを手伝ってくれたそうだ。
戦後、日本の商社の人々が再びスマトラのメダンやバンダアチェに来るようになった。日本人が来たと聞けば”私はお父さんを探しています”という声をかけたそうです。しかし、まともに聞いてくれる人は現れなかった。