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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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サクラさんの誕生の秘話
サクラさん誕生と日本人の父
ブログをオープンして早くも1ヶ月近くになります。この時期に、もう一度この映画製作の意図をはっきりさせなくてはなりません。先ずは、この映画の主人公であるサクラさんの誕生について述べたいと思います。
 サクラさんの父、池尻昌言(母方の池尻家に養子になる)は、昭和12年頃招集されるまでは京都松竹の宣伝部に在籍していました。北支、仏印と転戦しながら近衛師団の将校として、昭和17年3月にシンガポールからスマトラ島アチェに上陸。同18年に何故か現地除隊し、国策会社であった野村殖産東インド会社のアチェ支店?を立ち上げている。その頃、サクラさんの母親エマさんと知り合ったそうだ。そして、サクラさんは日本が敗戦になる1週間前の昭和20年8月7日に誕生している。父・昌言は終戦の翌年、昭和21年、バンダアチェから逃げるように帰国した。B級戦犯だった。
帰国する時、父・昌言は一片の日本語のメモを遺していた。“この娘はサクラと命名する。戦争に敗け、やむなく日本に帰らなくてはならない。かならず戻って来るから。”と。そのメモには日本の戸籍の住所と名前が書かれていたという。写真はサクラさんの父 池尻昌言
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晩年のサクラさんの母 エマさん(4人の孫に囲まれて)
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