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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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エマは池尻が戻るのを待っていた
エマと池尻の結婚は1943年または44年(昭和18年か19年)頃だったと推察される。
残念ながら、今回のインタビューで聞きそこなっている。


エマと結婚した池尻昌言
DSC_8886.jpg

左は(木で見えにくい)エマたちが住んでいた家。右側はエマが再婚した後に建てた家。

池尻の娘である真紀子は言っていた「池尻の父は、本気でアチェに残るつもりだった」と。サクラが誕生したのは1945年8月7日である。一方の真紀子は8才だった。サクラがもの心が付いて父、池尻を探し始めたのも7、8才だった。二人の立場が1945年8月15日を境に逆転するのである。野村殖産にいた池尻はエマと乳飲み兒だったサクラを連れてメダンに逃れた。(逃れたのは特務機関にいたからと推察)しかし、日本の敗戦と共にオランダ軍の追跡に逃れることが出来なく、エマとサクラをメダンに残して引き上げ船でシンガポールから日本に帰国してしまう。乳飲み兒を抱えたエマの心境を推しはかると私は胸の詰まる思いだ。それから、7年。サクラは7才になっていた。エマは池尻が書き残した「私は池尻昌言と言い、この子はサクラと命名。必ず戻って来る。住所は東京の何なに・・」という一片のメモを信じて待ち続けた。

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