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吉丸 昌昭

Author:吉丸 昌昭
ドキュメンタリーの重鎮だった牛山純一氏の率いる日本映像記録センターに所属し、「すばらしい世界旅行」や「知られざる世界」などドキュメンタリー番組のカメラマンとして世界各国を取材。現在は、映像製作会社の代表プロデユーサーである。

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ドキュメンタリー映画「二つの故国をつなぐ歌」              その後の反響は
「二つの故国をつなぐ歌~Diva早春賦をうたう~」 このブログでは製作時のこぼれ話や上映後の反響などをご紹介していきます 。
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健在だったエマさんの友人
池尻昌言叔父が住んでいた家の近くにエマさんの友人が今でも健在だと言うのだ。「何と!」早速,サクラさんに案内してもらう。Habibaah(ハビバ)さんというかなりの年を召したおばあちゃんだった。「お年は?」と聞くと75才だと言う。インタビューを長尾君がして、私がビデオカメラを廻した。エマさんとの関係は「私とエマは池尻が経営していた野村殖産に一緒に勤めていたのです。池尻は、私たちにはとっても優しかったです。年は75才です。」え!・・戦後62年として,当時は13才、そんなわけがない。エマさんが1925年生まれだから、生きていれば82才・・おかしいなとEllyさんに問いつめると,周りにいた家族から「82~3才だと思うけど,生まれたのは何年か分からない」と笑いながら答えていた。ハビバさんは、エマさんと似たような年齢かもしれない。この国の平均寿命が60歳代とか。四季の移り変わりのない南国では70才も80才も大差がないのだろうか。
20070922192800.jpg
 左側がエマさんの友人、ハビバさん(写真は少しピンがあまい)
ハビバさんは「池尻の方からエマさんに求婚し、しばらくして池尻と結婚式を挙げました。池尻は、エマを連れてアチェから東の方の町モラボーへ行き、式を挙げた」と。なぜ,アチェでなく地方の町で式をあげたのだろうか。「池尻はインドネシア語は話せたんですか」という質問に「インドネシア語で会話していました」「二人は何時も一緒で、本当に愛しあっていましたよ」とハビバさんは語っていた。池尻が話せたとすれば、スマトラに上陸する前からかなり勉強したのだろうか。私たちの推理は、野村殖産という会社を隠れ蓑にして日本軍の特務機関(スパイ活動)として暗躍していたことは間違いがないように思う。

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